中尾彬「15歳の女の子が『家出してきた』と言うんだよ。それが大原麗子だった」/ ガタガタ言わせろ(2)

 あと、江守徹は天才肌なんだけど、面白い男でね。昔、私がジャガーを買って乗っていたんですよ。2時間ドラマの撮影後、帰り道で江守の国産車をビューッと抜いたんだよ。そしたら、悔しがってね(笑)。次に、会った時には、あいつ外車買ってました。

 それから、一緒にコマーシャルをやるようになった時も、「中尾さん、俺、カバンを買ったんだ」って、イタリア製のブルーのカバンを見せてくれたのね。「ああ、俺もそれ持ってるよ」って言ったら、なんと新品のそのカバンを捨てちゃったんだよ。もう子供と同じですよね。

 けれど、その気持ちがあるからこそ、芝居がいいんだよねぇ。物事を追求する執念深さというのは、すごいことだと思う。それはいつか芝居の中に帰ってくるものですから。ただ、ぼーっと生きてるだけじゃ、役者は務まりませんよ。だって、江守は英語がペラペラなんだけど、それ全部、映画で覚えたんだよ、独学で。すごい役者ですよ。

 私はね、プライベートではあまり役者と付き合わないタイプなんですよ。ただ、亡くなった峰岸徹とは仲がよかった。20か、21歳ぐらいの頃かな。あいつのお母さんが日本橋浜町で料亭をやっていたのね。部屋がいっぱいあったから、そこに住み込みさせてもらってた時期もあったな。私の隣の部屋には井上順がいたね。

 夜になると、田辺靖雄らとみんなで街に繰り出してよく芝居の話を語ったよ。そうこうしているうちに渡邊美佐さん(現・渡辺プロダクション名誉会長)がやってきて、「あなたたち、『野獣会』って名前にしたら?」って言われて「野獣会」が発足したんだ。

 加賀まりこも、よく「野獣会」にいたと勘違いされているけど、彼女はお嬢様だったし、六本木のレストラン「キャンティ」に行ってたね。他には、ナベプロ3人娘の中尾ミエちゃんや伊東ゆかりちゃんなんかも行っていたなぁ。

 で、私たちはというと「ザ・ハンバーガー・イン」っていう老舗バーガーショップで、チリコンカンとコークハイを飲んでね。朝、都電が走るまでいましたよ。当時、いちばんイバってたのは、内田裕也だったね(笑)。彼は「野獣会」じゃなかったけど、六本木でよく遊んでたんだ。

 それから当時、15歳の女の子がいてね。それが大原麗子だったんだよ。「おまえ、どうしたの?」って聞いたら、「家出して来たんです」って。

 あの頃はみんな情熱に満ちあふれていましたよ。と言っても、その熱いものをどこにぶつければいいかもわからず、ただギラギラとしていました。映画の「スタンド・バイ・ミー」じゃないけれど、朝日を浴びながら片手に靴を持って、都電の線路を裸足でわーっと走ったりね。酔った足にはひんやりとして気持ちいいんですよ。それで信濃町の駅に着くと国電が走ってるわけ。当時で乗車券が15円ぐらいだったかな。

 今思えば、青春でしたね!

中尾彬(なかお・あきら)俳優 1942年8月11日生まれ、千葉県出身。映画「極道の妻」、「ゴジラ」シリーズ、北野武監督の「アウトレイジ ビヨンド」や、バラエティー番組のコメンテーターなど幅広く活躍。

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