猪瀬直樹「石原慎太郎伝なら俺しか書けないことがある」/テリー伊藤対談(1)

 2007年、東京都副知事に就任し、故・石原慎太郎氏と親交を深めた猪瀬直樹氏。このほど「太陽の男 石原慎太郎伝」を上梓した。都庁内で行われていた2人だけの定例会で交わされた会話とは? 猪瀬、石原の両氏と親交が深い天才テリーが全てを聞き出した!

テリー 新刊の「太陽の男 石原慎太郎伝」、すごく興味深くて、一気に読みました。まず何より猪瀬さんのような石原さんに近い人が、こういう本を書いてくれたことに感謝したいです。

猪瀬 最初に出版社から「石原さんの本を書いてください」って電話があった時は断ったんですよ。でも、よく考えたら「俺しか書けないことあるな」と思ってね。いろいろお世話になったし、(石原の)評価も誤解が多いから、「きちんとしたものを書いておかなきゃいけないな」って、ちょっと責任感が出てきたんですよ。

テリー これ、書き始めたのは?

猪瀬 出版社から電話があったのが石原さんが亡くなった日(2022年2月1日)の翌日で、書き始めたのは3月からだね。それで(本の発売を石原さんの)1周忌に間に合わせなきゃいけない。その時は「夏までには書いちゃうから」なんて言ってたんだけど、2割ぐらい書いたところで、日本維新の会から「選挙に出てくれ」って言われたんだよね。

テリー ああ。猪瀬さんの演説中にバッタリ会ったよね。横浜の伊勢佐木町通りで。

猪瀬 何であそこにいたの?

テリー 女の子とデートしてたんですよ。そしたら猪瀬さんがいるから「あれ?」と思って、車を停めたの。

猪瀬 俺が立候補してるの知ってた? あの頃、知らないヤツけっこう多かったんだよ。

テリー 知ってましたよ。「どうして立候補したんだろう」って思ってたから。そんなに国会議員が魅力だった?

猪瀬 それはこの本にも書いたんだけど。都知事を辞めた後に‥‥俺ね、テリーさんにほんとにお世話になって、まだお礼言ってないんだけど。

テリー 何だっけ?

猪瀬 都知事を辞める前に、奥さんが突然死んじゃってさ。寂しくて、1人でどこで飯食っていいかわからなかったんだよ。そしたらテリーさんが誘ってくれたんだよね。それも1回じゃなくて、2、3回誘ってくれたんだよね。感謝してる。ありがとうございます。そういうことがあってから、蜷川有紀(猪瀬の再婚相手)と出逢って。

テリー その前に、実は猪瀬さん、俺に「女を紹介しろ」って言ってたんだよね。

猪瀬 そう。「いいのいねえか」って。

テリー それでニッポン放送の女子アナを紹介しようと思ってたら、「彼女ができた」って言ったんだよ。

猪瀬 それでね、話を戻すと、その後に蜷川有紀を石原さんの自宅に連れてったのよ。その時に石原さんが頭下げて「猪瀬さん、日本頼む」って言うわけ。しかも帰り際に玄関まで来て同じこと言って、全部で3回ぐらい言われたんだよね。それがずっと頭にあって。そしたら日本維新の会から助けてほしいと。「全国比例ならいけるかな」と思って出ることにしたんだよね。

(つづく)

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