テリー 本を読むと、石原さんとは三島由紀夫の話をよくしてたんですね。猪瀬さんは「ペルソナ」という三島由紀夫の評伝を書いてるから。
猪瀬 石原さんとは毎週金曜日の昼食前に30分、2人だけで定例会をやってたんだよね。ほら、石原さんって週に2、3回しか都庁に来ないって言われてたでしょう。僕は都庁で真面目に仕事してたから、ちゃんと時間を確保しないとコミュニケーションが不足するからって、その定例会を固定したんだよね。
テリー なるほど。
猪瀬 その時は当然「今度の都議会でこういう提案をしなきゃいけない」っていう話もするんだけど、常にそういう話があるわけじゃないから、だんだん「俺、太宰治嫌いなんだけど」とか、そういう話になるわけです。
テリー 文学談義ですよね。
猪瀬 そうそう。それで俺も、「太宰治みたいなのが日本文学を駄目にしてるんだよね」って。
テリー 何で?
猪瀬 結局、日本の文学は私小説が中心になっちゃったんだよね。難しい話はちょっと省くけど、有名な田山花袋の「蒲団」っていう小説があるでしょう。弟子の女への不倫願望の話。あれ、話題になったんだよね。つまり、「週刊文春」なんかと同じで、スキャンダルなんだよ。そうすると売れます。女の尻を追いかけてどうのとか、愛人ができたとか、そういう私小説がマーケットで主流になっていくんだよ。その極致が太宰治だった。
テリー 僕なんかは、自分の身を削って書くのが作家だと思ってるけど。
猪瀬 身を削ってスキャンダルを作ったって、そんなものは1人で文春砲をやってるだけ。それがいつの間にか、日本の文学の伝統みたいになってしまったんだよね。
テリー そうか。
猪瀬 ちょっと話は飛躍するけど、石原さんって政治をやったり、映画監督をやったり、いろんなことをマルチでやるでしょう。ヨーロッパの作家って、基本はメジャーでマルチなんですよ。つまり、作家は社会の真ん中にいて、いろんなことを考えて、ビジョンを作り、世の中が動いていくようなところがある。ところが日本では、いかに自分が社会から疎外された者であるかっていう風なことを、一生懸命書くのが作家だと思われてる。そうすると永田町、霞ヶ関は置き去りにされて、世襲議員と官僚だらけでどんどん劣化していくわけね。
テリー そういうことを石原さんと金曜日の昼間に話してたんだ。
猪瀬 そう。「俺、太宰って嫌いなんだよな」って。
テリー 石原さんは誰が好きだったの? 影響を受けたというか。
猪瀬 あの人はフランス文学が好きなんだよね。
テリー 高尚だからね。
猪瀬 石原さんって暴言で誤解されてるけど、ボードレールを原書で読んでるんだよ。英語もフランス語もできる。それで、いきなりボードレールの話するわけよ。「あの『道ですれ違った女の話』って、いいよね」とかさ。それもこの本の最後のほうにちょっと書いたんだけど。
テリー (本をめくって)ああ、ほんとだ。この詩ですね。254ページの。
猪瀬 それ、パッとそらんじるんだよね。そういう、いろんなことをいっぱい知ってるんだよ。あの人、ほんとにインテリだからね。
(つづく)