新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【26】ブッチャーに続いて「全日本第3の男」を引き抜き

 1981年5月8日、新日本プロレスの川崎市体育館大会に現れた、全日本プロレスのトップ外国人アブドーラ・ザ・ブッチャー。アントニオ猪木が提唱する世界統一構想IWGPに賛同したという建前だったが、実際には業界のルールを破る引き抜きだった。

 実は、新日本はこの1カ月前にも仕掛けていた。IWGPの実行委員長に就任した新間寿取締役営業本部長が4月7日、記者会見を開いて「IWGPの趣旨からして〝日本プロレス界をあげて〟といきたいところですが、現実問題として挙国一致というのは不可能でしょう。だが、その現実を踏まえた上で、この大会を権威あるものにしたい。それには全日本プロレス、国際プロレスから1人でも2人でもこの大会の趣旨を理解し、参加しようという勇気ある発言、行動を期待したい。そういう意味を含めて全日本プロレスのジャンボ鶴田、タイガー戸口、国際プロレスのラッシャー木村、アニマル浜口の4選手に参戦を呼びかけたい。これは実行委員会からのお願いです」と、ぶち上げたのだ。

 あえてジャイアント馬場を指名しなかったことについて新間は「当然、参戦してもらえるなら要請したいが、馬場さんは全日本の社長であり、これまでの経緯からみても、いろいろと難しい問題が多すぎる。そうした事情を考えて、名前を出すのは遠慮させてもらった」としたが、実際には馬場の名前を出す必要がなかった。この記者会見は、国際から木村、浜口、全日本から戸口がIWGPへの参戦表明をする布石として行われたのだ。

 新日本と友好関係にある国際から木村、浜口が参戦するのは、すでに内定していた。そして公にはなっていなかったものの、全日本の戸口は、この記者会見の前日の4月6日に全日本に辞表を提出して受理されている。表面化したのはブッチャーが先だったが、戸口の引き抜き工作も同時進行で行われていたわけだ。

 また、鶴田は以前から何度か新日本から誘いを受けていた。新間と鶴田は中央大学の先輩後輩の間柄で、帝国ホテルに呼ばれて口説かれたこともあったし、猪木の車に乗せられて、テレビ朝日の入口に連れていかれて、車の中でテレビ朝日の三浦甲子二専務と話をしたこともあったという。

 当然、この時も新日本から接触があったが、鶴田は馬場にすぐに報告した。

 鶴田は77年暮れ、先輩のサムソン・クツワダに誘われて新団体を設立しようとしたことがあった。当時はまったく報道されなかった「幻の全日本クーデター事件」で、クツワダは翌78年に「私生活上の理由」で引退が発表されたが、実際には解雇。鶴田の場合はお咎めなしで許されただけではなく「二度とこういうことが起こらないように」と優遇されて、リングの運搬・設営を行う全日本の関連会社の「B&J(馬場&ジャンボの略)」の社長に据えられた。以後、鶴田は誤解を招くようなことがないように、何かあるとすぐに馬場に報告していたのである。

 獲得に失敗した鶴田の名前を新間が記者会見で出したのは、戸口が参戦表明した時に「鶴田は反応しなかったが、戸口は自分の意思でIWGPに賛同した」というイメージを作りたかったからだ。

 戸口は日本プロレス崩壊後、キム・ドクとしてアメリカを主戦場にフリーで活躍していたが、79年7月にタイガー戸口として全日本に入団。馬場、鶴田に続く〝全日本第3の男〟のポジションに就いた。

 馬場と戸口の関係がギクシャクし始めたのは、この81年の2月。ノースカロライナ州シャーロットに家庭を持っていた戸口は日本とアメリカを往復する生活を送っていて、馬場は日本への定着を希望したが、家族揃っての日本定住にあたっての条件で揉めたのだ。

 そんな矢先、東京スポーツの新日本担当記者だった永島勝司(のちの新日本取締役企画宣伝部長)から「猪木が欲しがってるよ」と、誘いを受けたという。

 戸口は4月6日に全日本に辞表を提出後もブッチャーと同じく契約満了となる4月30日の松戸市運動公園体育館における「インター・チャンピオン・シリーズ」最終戦まで参戦し、5月14日にJAL0062便でヨーロッパ遠征に出発する前に成田空港で「俺は正式にフリーの身になった。その上で新日本のIWGPに参加したいと思っている。すでに実行委員長の新間氏にも電話を入れて、出場する意思を伝えてある」と、フリー選手としてIWGPへの参戦を表明。

 これを受けて新間は「戸口の勇気ある発言と行動に感動した。実行委員会は戸口の参加要請を喜んで受け入れる」と発表。これで4月7日の記者会見からのストーリーが完成した。

 戸口はブッチャーと同じく6.24蔵前国技館で新日本に初登場、キラー・カーンに反則勝ちした。

 トップ外国人のブッチャーに続き、第3の男の戸口まで引き抜かれた馬場は大胆な報復に出る。

小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。

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