新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【21】「夢のオールスター戦」が実現

 新日本プロレス、全日本プロレス、国際プロレス‥‥当時の男子団体が一堂に会した、1979年8月26日の日本武道館における東京スポーツ新聞社主催「プロレス夢のオールスター戦」は伝説の大会として歴史に刻まれている。

 だが、実現までの道のりは険しかった。全日本の馬場と新日本の猪木のBI両巨頭が大会開催に基本的合意に達したまではよかったものの、6月14日の発表記者会見で両者の対立が浮き彫りになったのだ。

 あくまでもBI対決を望む猪木と、過去の挑発や暴言をクリアしなければ同じリングに立てないと主張する馬場。両者ともに一歩も引かず、東スポはお手上げ状態になってしまった。

 しかし馬場も猪木も、プロレス界に絶大な影響力を持つ東スポに不義理をするつもりはなかった。それぞれに主張が大きく取り上げられれば十分で、あとは落としどころを探るだけ。

 馬場は「今後、私と猪木が話し合っても結論が出ないと思う。自分を納得させられる条件が得られるように東スポに一任する」と、東スポの本山良太郎代表に下駄を預けた。

 一方の猪木も「私はコミッショナーの二階堂先生に今後の話し合いをお任せする。本山代表と二階堂先生の話し合いの結論には、どんなことでも従う」と、この年の2月に国際と2団体で擁立した二階堂進日本プロレス・コミッショナー(のちの自民党副総裁)に一任。

 そして本山代表と二階堂コミッショナーの結論は「今後も馬場vs猪木の実現に関係者は鋭意努力するということにし、今回のオールスター戦のメインイベントでは2人にタッグを組んでリングに上がってもらいたい」というもので、馬場も猪木も「一任した以上は」と了承した。

 主催者の東スポは、翌5日発行の紙面で馬場&猪木のBI砲の対戦相手を募集。71年12月7日の札幌でBI砲最後の対戦相手になったドリー&テリーのザ・ファンクス、両団体のトップヒールを合体させたアブドーラ・ザ・ブッチャー&タイガー・ジェット・シンがデッドヒートを繰り広げた。

 ファン投票という形を取ったが、裏での調整はやはり難航した。ファンクスとの対戦は「俺以外の3人が全日本」と猪木が拒絶。猪木には「いざ試合になったら、何をされるかわからない」という不信感があったのだろう。ブッチャー&シンは、馬場が「それは試合にならんだろう」と難色を示したが、東スポがシンを説得した上で馬場に改めて打診。「シンがOKしているなら仕方ない」と、馬場がブッチャーを説得。こうして投票の上では当初リードしていたファンクスを抜く形で、ブッチャー&シンの〝夢の凶悪コンビ〟がBI砲の対戦相手に決定した。

 その他のマッチメークは東スポが叩き台的なカードを作成して、それに馬場と猪木が手を加えるという形だったが、当初、東スポが考えていた馬場vs猪木、ブッチャーvsシン、鶴田vs藤波は「そんなカードは話にならん」の馬場の一声で全て実現せず。

 唯一実現した全日本絡みの対抗戦は、日本プロレスの先輩後輩であり、何の因縁もない坂口征二vsロッキー羽田だけ。馬場が坂口の人柄を買っていたというのが大きい。坂口が豪快なアトミックドロップで勝利したが、明らかに格が違うだけに馬場も納得だった。

 なお、セミファイナルで行われたストロング小林とラッシャー木村の新日本vs国際対抗戦は、74年春にエースだった小林が電撃退団したという経緯もあり、温厚で知られる木村が珍しく感情的になり、ギクシャクした展開に。最後は木村がリングアウト勝ちしたが、後味が悪かった。それを考えると、対抗戦を避けるという馬場の考えは正しかったのかもしれない。

 対抗戦的なムードがあったのは3団体19選手が参加したバトルロイヤルとドン荒川vsスネーク奄美の鹿児島県対決。若手のバトルロイヤルに「俺も出る」と直訴して加わった新日本の山本小鉄が優勝したが、血気盛んな3団体の若手をコントロールできる小鉄の存在は重要だった。

 荒川と奄美はともにアマレス出身で、ガチンコでも強い選手だけに見応え十分。荒川の勝利に終わったが、オープニングにふさわしい好勝負になった。

 その他は基本的に3団体の選手がミックスされたタッグマッチ。全日本のグレート小鹿&大熊元司の極道コンビに反則勝ちした新日本の長州力と国際のアニマル浜口のコンビは、4年後に維新軍団を結成する。

 セミ前の鶴田&藤波&ミル・マスカラスの夢のトリオとマサ斎藤&高千穂明久(ザ・グレート・カブキ)&タイガー戸口の職人トリオの激突は、夢のトリオがトリプル・ドロップキックを炸裂させ、マスカラスがフライング・ボディプレスで斎藤を仕留め、オールスター戦のお祭りムードにふさわしい試合だった。

 そして、いよいよ7年9カ月ぶりのBI砲の登場。実は試合数日前から駆け引きがあった─。

小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。

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