日本プロ野球始まって以来のサプライズか。あのトリックスターが、日本ハムの監督に電撃就任。キャラクターは強烈だが、野球愛はピカイチな革命児の”衝撃シーン”をここに厳選!
史上最高峰レベルの日本シリーズが終わり、プロ野球は早くも来季に向けての展望となる。かつてのように地上波で中継される機会は減ったが、ここに、たったひとりで幅広い層まで関心を呼び起こす男が帰ってきた。BIG BOSSこと日本ハム・新庄剛志監督、49歳である。このサプライズに、ネット上の反応などは、すでにぶっちぎりの高いレベルにある。
振り返れば、阪神入団直後からのド派手なパフォーマンスは、批判にさらされることも多かった。ただ、球界随一の身体能力と、目に見えないところでの努力など、野球に対しての真摯な姿は雑音をシャットアウトし、うるさ型のOBも「新庄応援団」に変えつつある。自身がプレーヤーになることはできないが、新庄流の采配は必見であろう。
「センターからリリーフ登板したい」
99年、阪神に野村監督が就任すると、新庄の強肩をピッチャーで見てみたいとの興味と、打撃にも好影響を与えるとして二刀流を指示。実戦はオープン戦のみに終わったが、大きな話題に。
「明日も勝つ!」
99年6月1日、巨人との首位攻防戦で、新庄は槇原寛己が投じた敬遠球を打ってサヨナラ打に。野村監督や柏原純一打撃コーチともきちんと確認済みで、高らかに勝利宣言した。
「自分に合った野球環境が見つかった」
あのイチローと同時に、日本人野手として初めてメジャーに行った。01年はメッツ、02年はジャイアンツに移籍し、日本人選手として初めてワールドシリーズにも出場している。
「札幌ドームを満員にする」
3年間のMLB生活を終え、04年に日本に戻った新庄が選んだのは、北海道に移転した日本ハム。実は非公式に巨人からも打診があったと新庄は言うが、見事に北の顔になった。
「これからはパ・リーグです」
球界再編問題に揺れた04年、オールスターに選出された新庄はMVPを宣言。7月11日に史上初の単独ホームスチールを決めてMVPに輝き「これからは、パ」と凱歌を上げた。
「チームを日本一にする」
入団から3年目の06年、チームを鼓舞した新庄効果もあり、44年ぶり2度目の日本一に輝く。この年、新庄は開幕から引退を公言し、入団時に掲げた「満員」と「日本一」を達成。
「これからも俺らしくいくばいっ!」
06年9月27日、ついに引退セレモニーに臨んだ。山口百恵のように、ユニフォームをグラウンドに置くという演出は新庄だけに許されたもの。背中に「俺らしく」の文字が躍った。
「1%の可能性があれば必ずできる」
誰もが耳を疑ったのは20年12月7日、現役復帰を目指して合同トライアウトに挑んだことだ。安打を放ちながら12球団からの指名はなかったが、現役時と変わらぬ体型に驚嘆。
「優勝なんか目指しません」
11月4日の就任会見で「優勝は一切目指さない」と明言。野球憲章に照らし合わせれば許されないが、新庄は「高い目標を持ちすぎると選手はうまくいかない」と真意を明かした。
「顔を変えずにチームを変えていきたい」
監督就任の会見、そして沖縄秋季キャンプに参加して、斬新なアイデアを次々と発信。清宮に対しての減量指令や、ワゴン車の屋根に乗ってレーザービーム指導など、早くも革命的だ。