24個で盗塁王って!? しかも4人一緒に。笑うしかない。パ・リーグの今年の盗塁王はロッテ・荻野、和田、西武・源田、日本ハム・西川が史上初の4選手同時受賞した。24という数字は2リーグ制以降では、1993年のセ・リーグの巨人・緒方、横浜・石井に並んで最少。パで20個台の決着は初めてとなった。
昔より試合数が10試合以上も増えた143試合制にもかかわらず、この数字でタイトルを取れるのは普通ではない。僕が目の色を変えたら1カ月で走れる数字だし、4人合わせての96個でも勝負になった。実際、シーズン106盗塁した1972年もライバルと競っていたら、もっと走れていた。
数字もそうやけど、最後に激しく争うわけでもなく示し合わせたかのように24個で終わったのが残念すぎる。確かに数字が少なかろうが、何人で分け合おうが、経歴にはタイトルとして残る。当事者にとっては大きな価値があるし、うれしいのも分かる。それでもこのタイトル(1970年から13年連続受賞)に誇りを持って走り続けてきた者からすれば、トロフィーを4分割して渡したいぐらいや。
僕自身は「同じ数でもいい」という発想になったことはなかった。他の選手よりひとつでも上を目指すのがプロやと思っていた。ライバルの成績を毎試合必ずチェックして、最低5個以上は離すことを心がけた。1試合に4つまでが限界という計算があったから。
この決着に悔しがっているのが、西武の新人の若林と、昨季は50盗塁で初タイトルを獲得したソフトバンクの周東やと思う。若林は5月末までに20盗塁の快調なペースやったけど、左膝の大ケガで離脱してしまった。周東は今年は70以上は狙えると期待していたのに21個で終わった。打撃不振にケガ、最後は右肩を手術して、9月以降は出場がなかった。2人が故障なくシーズンを過ごしていたら、到底、20個台でのタイトルなんてありえなかった。
セ・リーグでは30個の阪神の新人・中野がタイトルを取った。2位の近本に6個差をつけてのもの。なんとか30個には乗せたけど、こちらも低レベルの争い。3試合にひとつ走ったら、40は行けるんやから。中野にしても月別の成績でみると、優勝争いの佳境の9月はわずか2個。近本も中野も後半戦の勝負どころで走れなかった。野球中継の解説をしていても、もどかしくて「走れ」と声が出てしまうことがあった。
中継していて「違うやろ」と思うのが、アナウンサーが盗塁成功率を褒めること。20個、30個台で成功率が高くても何の意味もない。ただ単に「ほんまの勝負」をしていないだけ。一、三塁の一塁走者で、ただの二盗だけを重ねていたら成功率は100%に決まっている。キャッチャーのブロックが禁止されてからは、一、三塁の場面での二盗が余計にやりやすくなった。
成功率は7割もあればいいぐらいの気持ちで、ドンドン勝負を仕掛ける選手が増えてほしい。警戒される中で走ってこそ価値があるし、相手にもプレッシャーが与えられる。盗塁を増やすには「まず塁に出ること」と僕は言い続けていたけど、ロッテの和田はシーズン24打席のみ、代走中心でタイトルを取れた。これも夢を与えたのか、何なのか‥‥。来年こそはスリリングかつハイレベルな争いで、ほんまもんの盗塁王が現れてほしい。
福本豊(ふくもと・ゆたか):1968年に阪急に入団し、通算2543安打、1065盗塁。引退後はオリックスと阪神で打撃コーチ、2軍監督などを歴任。2002年、野球殿堂入り。現在はサンテレビ、ABCラジオ、スポーツ報知で解説。