【謎其の二】なぜ武州多摩の農民が新選組になったのか?
新選組の局長となる近藤勇と実質的に組の運営を担った副長の土方歳三は、共に武州多摩(東京都三多摩地区)の農民の出身。お互い武士になる夢を抱いて天然理心流の剣の修行を通じ、知り合うことになるが、この二人の出会いは、偶然だと言えるのだろうか。
近藤、土方と同じ武州多摩(町田市)の出身でもある河合氏は、
「近藤も土方の実家も農民とはいえ、かなりの経済力を持った豪農だったのです。武州多摩は将軍直轄の天領や旗本知行地(ちぎょうち)。その昔には、武田家や北条氏が滅んだあと、彼らの家臣達を徳川が再雇用した。半分は武士で半分は農民という身分で召し抱えた〝八王子千人同心〟と呼ばれた人が多く住み着いた場所です。いざという時には武士として徳川に忠義を尽くすため、農民であっても武術修業をするのが当たり前のような気風の地域だった。しかも幕末期の豪農は武士よりも豊かで、学問や教養も武士よりも優れた人材がいたのです。明治になると自由民権運動が盛んになる地域でもあり、そういう気風が近藤、土方らを生む素地になっていたとも考えられます」
【謎其の三】なぜ3人もの局長がいたのか?
「もともとは将軍の徳川家茂(いえもち)が230年ぶりくらいに江戸から上洛する時に将軍を警護する部隊が必要だということで、出羽庄内(山形県東田川郡)の浪士・清河八郎(きよかわはちろう)が浪士達を集めて先に京都に入ります。この募集に応じ京都に残留したのが近藤勇、土方歳三、沖田総司、永倉新八(ながくらしんぱち)らの近藤勇のグループと、芹沢鴨ら水戸の浪士を中心とした一派。駐屯した場所が壬生(みぶ)だったので、〝壬生浪士組(みぶろうしぐみ)〟。この2派の他にも、いくつかのグループがあり、寄せ集めだった。その筆頭局長に芹沢鴨が就き、新見錦(にいみにしき)と近藤勇を加えた3人の局長体制でした」(河合氏)
【謎其の四】なぜ筆頭局長・芹沢鴨は暗殺されたのか?
壬生浪士組の筆頭局長・芹沢鴨は、勤王の志士に資金提供していた「大和屋」を脅し、大砲で土蔵を砲撃して焼いたという逸話が有名。ただ、これは史実ではないようだが、やんちゃなエピソードには事欠かず、暴れん坊だったのは事実。芹沢はこうした悪行ゆえに、壬生の屯所(とんしょ)で女と素っ裸で寝ているところを土方、近藤らに襲われ、暗殺されてしまう。河合氏の見立てはこうだ。
「芹沢の所業があまりにひどいので会津藩が粛清を命じたという説がありますが、結果として、筆頭局長の芹沢鴨が死んだことで、近藤を局長とする〝新選組〟が生まれることになる。近藤達が主導権を握るために芹沢暗殺を決行したと考えるのが自然」
【謎其の五】池田屋事件に黒幕はいるのか?
新選組を一躍有名にしたのが「池田屋事件」。長州を中心とした過激な尊王攘夷派の不逞浪人達をなぎ倒し、新選組の名は京洛に轟くことになる。河合氏が続ける。
「現在伝わる池田屋事件の詳細は、明治になってから永倉新八当人が『浪士文久(ぶんきゅう)報告記事』などに書いていることがもとになっている。他にまとまった文献史料はほとんどなく、逆に長州側の記録には『一階で酒を飲んでいたら突然襲われた。俺達はほとんど関係なかった』みたいな感じの記述があり、果たして当時、池田屋にいた全員が京都焼き打ちを企む志士だったのかどうかは怪しくなってきています。また、近年の研究では、池田屋事件は新選組の要請を受けた会津藩が、長州藩との全面戦争を決意して長州勢力を京都から排除するために起こした摘発ではないかとも言われている」
永倉新八は新選組の中でも一、二を争う剣豪。近藤の道場・試衛館(しえいかん)の食客となって以来、池田屋事件や鳥羽・伏見の戦いでも最前線で近藤、土方と共に戦ってきた古参のメンバーである。近藤の傲慢で増長した態度を批判したり、しばしば近藤と対立して、その後、甲州勝沼戦争の後に袂を分かつことになる。
ビビる大木は、
「明治維新後にも生き残って、喧嘩別れしたはずの近藤勇や土方の供養碑を板橋に建てたり、新選組の歴史を伝える活動をするなど、かつての仲間の顕彰を含めて惹かれる人です」
と、その真っすぐな生き方に共感する。
【謎其の六】なぜダンダラに浅葱の隊服なのか?
新選組のユニフォームとして、浅葱色(あさぎいろ)の地に袖口には山型のダンダラが白く染め抜かれた羽織が有名だ。江戸時代の町文化にも詳しい堀口に解説してもらおう。
「羽織のデザインに関しては、歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』で用いられたものを真似たと言われています。近藤勇は大石内蔵助に傾倒していて、大石の遺品などを集めていたというほどの忠臣蔵ファンでした。一方、羽織の地色を浅葱色という水色にした理由は、一切史料がないので本当のことは謎というか、わかっていません。しかもこの浅葱の羽織は、現在に至るもただの1枚も見つかっていなくて現存しないのです。一説には、浅葱色は切腹の時に着る裃(かみしも)にも使う色なので、常に死を覚悟していることを表すためにではないかと言われています」
【謎其の七】総長・山南敬助はなぜ粛清されたのか?
新選組は常に分裂の危機をはらみながら、脱走した隊員には切腹を申し付けるなど、土方歳三が作ったとされる「局中法度(きょくちゅうはっと)」などの鉄の規律で隊士達を締め上げていく。河合氏が言う。
「近藤が藤堂平助(とうどうへいすけ)に紹介されて参謀として途中から参加した伊東甲子太郎(かしたろう)は、北辰一刀流の達人で、弁舌も爽やかで頭もいい。なので、どんどん伊東になびいていく隊員もいて、隊内のバランスが崩れていくことになります。その影響を受けたのが当時総長という役職についていた山南敬助(さんなん〈やまなみ〉けいすけ)です」
山南は新選組結成当初は土方と同格の副長だったが、病弱だったこともあり、やがて土方に実権が移ってしまい、お飾り的な総長という役職にあった。これに不満を感じた山南は伊東に近づき、その後、脱走した挙句、大津で捕まって御法度に従って切腹することになってしまう。
山南は鉄の規律を知っていたにもかかわらず、あえて脱走した理由はどこにあるのか。
「あれはもうわざと捕まっているとしか思えない。屯所を西本願寺へ移すことに強く反対したのに、近藤に全く取り合ってもらえない。そのことに不満を持ち、自分は新選組にとって大事な存在だよねということを近藤局長ら隊幹部に知らしめたいと脱走してみたものの、あなたは必要ないよと、あっさり切腹を命じられてしまったのでしょう。伊東が注目される中で、恐らく山南も自分の価値を示そうと脱走してみたというのが本当のところではないかと、私はみています」(河合氏)
今で言うなら窓際に追いやられた社員が「こんな会社辞めてやる!」とタンカを切ったとたん、「そうですか、仕方ありませんね」とあっさり解雇されたようなもので、同情に堪えない。
【謎其の八】伊東甲子太郎「油小路暗殺事件」はなぜ?
一方、伊東甲子太郎は、新選組を分派して天皇の陵墓(りょうぼ)を警護する御陵衛士(ごりょうえじ)になると申し出て仲間13名を連れて新選組を離れる。いったんは分派を認めた近藤だったが、自分の暗殺計画を斎藤一(さいとうはじめ)によって知らされ、怒った近藤は自分の妾宅に伊東を呼び出した。酒を飲ませて酔った足どりで帰路についたところを、油小路(あぶらのこうじ)で手下に命じて斬り殺してしまう。
「近藤と伊東は、尊王攘夷(そんのうじょうい)という考えでは一致していたが、伊東は薩長寄りで、幕府寄りの近藤とは違っていた。だから薩長倒幕派の勢いが増す中、伊東が新選組を見捨てたのでしょう。それにしても坂本龍馬に『新選組が狙っているから気をつけたほうがいいよ』と言った直後に殺されている。他人に注意を促しておきながら、自らはホイホイと近藤の招きに応じて酒を飲んだとは、うかつな人です」(河合氏)
【謎其の九】なぜみんな女遊びや酒で失敗するのか?
会津藩の預かりとなってからは、隊士達にも現金で一定の給料が支払われていた。しかも池田屋事件では幕府から600両もの報奨金が支払われたというから、新選組幹部達はけっこうな金を持っていた。その金で、京の都の遊郭や料亭などに通い、散財している。
「京都という都に、武州多摩、水戸辺りから出てきて、それはもう舞い上がっていたんでしょうね。女好きナンバーワンの芹沢鴨なんかは壬生の屯所近くの島原遊郭『角屋(すみや)』に入り浸っていたようだし、近藤などもお妾さんを囲っていました」(河合氏)
さらには、
「土方さんは、武州多摩の支援者に宛てた手紙に、祇園ですごくモテて、女達からのラブレターがたくさん来たことを自慢してたりしますね」(堀口)
それにしても、女を部屋に連れ込んで女もろとも素っ裸で襲われた芹沢鴨や、酒を飲んで千鳥足で帰宅途中に襲われた伊東甲子太郎など、いずれも酒と女でしくじっているが、ビビる大木は、
「あの当時の料亭とか旅館に行けたのは、身分や収入も上がったこともあると思いますが、そこでの情報交換とか、他の藩がどういう動きをしているのかとか、会合や偵察の意味もあったと思う。飲みには行っても明日死ぬかもしれないという緊張感の中で生きているので、酒も遊びもついつい豪快になっちゃったのかもしれない」
と分析する。
河合敦(かわい・あつし)65年、東京都生まれ。多摩大学客員教授。歴史家として数多くの著作を刊行。テレビ出演も多数。近著:「絵画と写真で掘り起こす『オトナの日本史講座』」(祥伝社)。
ビビる大木(びびる・おおき)74年、埼玉県生まれ。お笑い芸人。ジョン万次郎資料館名誉館長、春日部親善大使など、さまざまな観光・親善大使を務める。著書:「ビビる大木の幕末ひとり旅」(敬文舎)ほか。
堀口茉純(ほりぐち・ますみ)東京都生まれ。明治大学文学部卒業後、女優デビュー。「江戸に詳しすぎるタレント=お江戸ル〝ほーりー〟」として注目される。著書:「TOKUGAWA15〜徳川将軍15人の歴史がDEEPにわかる本」(草思社)ほか。