僕にとって新選組というのは、幕末の動乱の時代に、もしかしたら武士になれるかもしれないという夢を持って上洛した若者達のイメージです。自分もまた高校生の頃に北海道から京都に来て、劇団くるみ座という劇団に入り、なんとか映画の世界に入れないかという夢を描いて修業していたので、重なるものがありましたね。
村山知義原作の「忍びの者」(NET、1964年)で、明智光秀の役をいただいて、初めて東映京都の撮影所の門をくぐったのが27歳の時でした。その年の暮れにテレビ時代劇の「新選組血風録」(NET、1965年)の撮影に入ったんです。
当時、日本映画は斜陽で予算は少なくなる一方、地元の京都に使える者がいたら、宿代や交通費もなく使えるからと僕に声がかかったと思います。当時は「新選組」をやりたいという役者は少なかったかもしれません。その頃は「悪の集団」というイメージがありましたからね。
5年後に「燃えよ剣」(NET、1970年)をやった時には、セリフはスッと出てくるし自然に動けるわで、これは土方さんが乗り移ってくれたんじゃないかなと思いました。僕の心の中が土方はじめ、新選組の人と重なったんでしょうね。そういう役に出会えたことは、役者冥利に尽きますが、僕としてはいろんな役をやりたいと思っていたけど、なかなか他の役をやらせてもらえなくて。そしたら、脚本家の結束信二先生が同情して「暴れん坊将軍」シリーズで浪人(山田朝右衛門)の役をくれた。これは20年間も続きましたので結束先生には感謝しています。
今ちょうど京都府の観光宣伝のために、僕が新選組ゆかりの地を紹介するインターネット番組を作っています。長年住んでいる京都は大好きな町ですし、新選組の縁が続いているのもありがたいことです。84歳になりましたが、まだまだ頑張っていきたいので、週に6本は映画を見ています。
*「週刊アサヒ芸能」10月21日号より