福沢諭吉と“新旧一万円札”対決も!? 規格外の「渋沢栄一伝説」を大検証

 今年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公となった渋沢栄一。その生涯で500もの企業の設立や経営に携わったとされ、近代日本資本主義の父とも称される。68歳にして子を授かったという性豪ぶりはつとに有名だが、規格外のエピソードは他にも‥‥。虚実ないまぜの説を大検証する。

 性豪のみならず、華麗な交友関係で知られた渋沢栄一。幕臣時代には新選組の近藤勇や土方歳三との付き合いがあったというから驚きだ。それだけではない。

「渋沢は新選組とオンナを巡って一悶着あったとも言われています。ある日、渋沢に女関係で恨みを抱いた新選組の隊士が仲間を連れて渋沢の自宅に乗り込んできた。斬り合い寸前の険悪な空気だったものの、なんとか話し合いで解決したということです」(歴史作家)

 これは真実味のあるエピソードのようだ(信憑性70%)。

 24年には、新一万円札になることが決定しているが、実は、「新旧一万円札対決」が起こっていたことをご存じだろうか。当時の記録によれば、

「渋沢も福沢も大の将棋好き。勝敗は不明ですが『商売人にしては割合強い』『ヘボ学者にしては強い』と舌戦を繰り広げながら両者が将棋を指したという記録が残されています」

 当時から著名人だった両者の対決は庶民の間でも話題に上ったという。信憑性は100%。

 生涯で500もの会社の設立に携わり、大蔵省の役人時代には、14年から世界遺産に指定されている群馬県の富岡製糸場を設立したことでも知られるが、

「彼は『ご当地グルメの生みの親』でもあるんです」

 と語るのは、出身地である深谷市の飲食店経営者。

「現在の深谷市にあたる榛沢郡血洗島村に生まれた渋沢は、特産品の深谷ネギを使い、古くから地元で食べられていた『煮ぼうとう』が大好物だった。彼が生前、各所で煮ぼうとうの美味しさを説いてくれたおかげで、全国的に人気が波及したとみられているんですよ」

 その結果、ご当地グルメが誕生したというワケだ。

「今では『深谷名物』として大手コンビニで商品化されるほどの知名度を獲得しました。さらに大河ドラマの影響で、深谷の煮ぼうとう店は大繁盛。こうしたきっかけを作ってくれたのは渋沢なんですよ」(飲食店経営者)

 なんと、地域振興にも一役買っていたというのだから、そのスケールの大きさがうかがえる(信憑性80%)。

 子孫も大物揃いの渋沢。

 東宝の会長を務めた四男の渋沢秀雄や日銀総裁となった孫・渋沢敬三など、政財界のビッグネームがズラリと並ぶ。

 昭和史に詳しいジャーナリストは「渋沢の『子作り伝説』を悪用して金儲けを企てる悪党が昭和の終わりぐらいまで大勢いたんですよ」と語る。

「戦後、GHQの秘密資産の存在をチラつかせ、カネを騙し取る『M資金詐欺』が社会問題となりましたが、ここで『渋沢の子』を名乗る詐欺師が大量に発生していた。身元を証明したくないために『渋沢の妾の子供だから戸籍がない』と言い張るのが定番の手口。現在でも『渋沢の子孫』を名乗っている詐欺師は少なからず存在します」

 そもそも令和の時代でもM資金詐欺被害は後を絶たない。今後、またぞろ渋沢の子孫を騙る輩が出ないといいのだが‥‥。信憑性は100%。

「ニセ子孫」が現れるほどの大物だった渋沢。だが、意外な「本物の子孫」の名前も浮かび上がってきた。

「『競馬の神様』と呼ばれた競馬評論家・大川慶次郎氏は渋沢の本物の子孫です。父で高千穂製紙社長だった大川義雄の母が渋沢の庶子で、大川はひ孫にあたるんですよ」(ジャーナリスト)

 競馬の予想も日本の将来も見通せるのは、渋沢の血筋ならではかもしれない。信憑性は100%。

※「週刊アサヒ芸能」2月25日号より

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