多くの視聴者参加コーナーがあった「笑っていいとも!」(フジ系)。中でも強烈な印象を残したのは83年、替え歌を披露する「私のメロディー」に何度も出演し、翌年タレントとしてデビューしたしのざき美知(56)だ。「ものまね王座決定戦」(同局)での大活躍は記憶に新しい。
「スタイルとしては勢いで押し通すものまね。結婚して引退してた頃、知り合いの結婚式の二次会で中山美穂を歌ったんだけど、メチャクチャ受けてたよ」(マグナム氏)
93年、浅草キッドのマネージャーと結婚して芸能界引退。現在は復帰し「しのざき見兆(みち)」として活動中だ。
「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(日テレ系)でエンペラー吉田と共にジェットコースターに乗る姿が面白いという理由で、ブレイクしたジェット浪越について、マグナム氏は当時を振り返る。
「もともと名前のある人だったけど、『元気』で人気爆発して。女子高生たちが学校の帰りに吉祥寺を歩いてたら、〈浪越徳治郎来る 無料〉という看板を見つけて『それ、ジェット浪越のことじゃないの?』と喜んで会場に入って行ったら、浪越さん一族の指圧教室だった。女子高生たちは体中指圧されて血行がよくなって帰宅したという(笑)」
人生とは実に数奇なもの!
【まだまだ発見!玄人タジタジ「昭和のド素人」】
気仙沼ちゃん:77年「欽ドン劇団」に応募し合格。萩本欽一はオーディションでの実力など二の次、すべて「運次第」。7人の合格者はその場で、「静岡ちゃん」「別府ちゃん」などと出身地名で呼ばれ、白幡美千子さんも出身地の「気仙沼ちゃん」と名付けられた。劇団が解散すると地元気仙沼へ戻り、旅館の女将に
吉田君のお父さん:「オレたちひょうきん族」に出演していた千葉の酪農家・安川勝司さん。飼っている牛が「吉田君」なので、そう呼ばれた。コントなどでオチに使われることが多い「ガチョーン」などのギャグを、スタッフに耳打ちされながら独特の間で言い放つことで人気者に。日本旅行「赤い風船」のCMで山田邦子と共演した
エンペラー吉田:「天才たけしの元気が出るテレビ」がロケ先で偶然見つけた老人。恐らく番組スタッフが用意したであろう、公立学校の体育の授業で着用するような上下のジャージを身にまとっていた。しゃべる際の若干の震えと、時折口から飛び出す入れ歯で爆笑をさらった。決めゼリフは「偉くなくとも正しく生きる」
ヒグチ薬局・ヒグチトラベルの社長:ヒグチ産業創業者・樋口俊夫元社長。テレビCMでは象に乗った社長が「目標、1327店」と号令。実は1327店は第2目標で、その前は第1目標だった「427店」(1974年に厚生省が発表した全国の薬局数の1%にあたる数字に由来)を見事に達成した後、次の目標としたという
ピップエレキバン会長:72年、「ピップエレキバン」を発売。売れずに返品と納品を繰り返す日々が続いたが、79年、テレビCMに横矢勲会長みずから出演。樹木希林とのコミカルな動きが人気に拍車をかけて知名度が上がり、爆発的に売れた。81年「ゆうもあ大賞」を受賞。鉄道ブームに乗り、北海道の「比布」という駅の入場券の切符もなぜか流行った
小池聰行:レコードの実売枚数を発表する会社「オリジナルコンフィデンス」の創業者。可愛かずみがMCだった音楽番組「週刊ポップマガジン」(84年・テレビ東京)では「勝手にビデオベスト3」というコーナーを任されていた。平成になると「ものまね王座決定戦」の審査員を務めるなどタレント活動も盛んだった
大屋政子:「帝人」のワンマン社長として知られた大屋晋三参議院議員と結婚し、長きにわたって社長夫人として君臨。帝人の経営に介入し「帝人の女帝」とも呼ばれた。ド派手な化粧にミニスカート、甲高い声で「うちのおとうちゃんはね」のセリフでテレビ界を席巻した元祖・セレブタレント
ビビンバ荻野:「オレたちひょうきん族」のディレクターで番組にも登場した初期のキャラ。黒塗りで槍を持つ謎の男。ヒップアップ・島崎俊郎の「アダモちゃんことアダモステ」的ないわゆるステレオタイプのアフリカ人風メイクでビビンバが大好物という設定。後に番組ディレクターによるユニット「ひょうきんディレクターズ」の一員となった
ニカウさん:南アフリカの映画「ミラクル・ワールド ブッシュマン」シリーズの主演。映画の中でマッパ同然の姿が話題を呼んだが、実際の職業は庭師。Tシャツ姿で小学校の校庭で仕事をしていたところをスカウトされている。83年3月に初来日。北海道で雪を初体験したのち、東京で遊園地やボウリングを楽しんだ
ナース井手:女子大生の素人集団・オールナイターズが爆発的な人気を呼んだ深夜番組「オールナイトフジ」のMC。次第に飽きられて86年、ME-MISS 3(みみず3匹)を擁する「シーエックス」という妻路線にシフト。シーエックスのメンバーだった井手は准看護師の資格を持っていたことから下ネタにも対応できて人気を博した
*週刊アサヒ芸能11月21日号掲載