前駐豪大使・山上信吾が日本外交の舞台裏を抉る!~歴史認識問題を乗り越える80周年に~

 残暑もようやく峠を越しつつあるのだろうか。信州の山里ではトンボが舞い始めた。

 8月は日本人にとっては特別な月だ。1945年の8月が決して忘れられないからだ。そんな8月を振りかえってみて、気になって仕方がないことがいくつかあった。

 歴史認識問題への対応という観点で最大の失態は、長崎での平和祈念式典にアメリカ大使が欠席する理由を、よりによって日本側が作り出してしまったことだろう。

「米兵の大きな損傷を防ぎ戦争を終わらせるためには原爆投下はやむを得なかった」というのが、多くの米国人の歴史認識だ。大多数の日本人にとっては決して受け入れられないロジックだ。だからこそ、原爆被害の実相を知ってもらうべく、日本政府、民間の心ある人々が力を合わせ、米国大使を手始めに米国大統領、さらにはG7首脳の広島訪問を長年かけて実現してきた経緯がある。

 しかるに、ガザ紛争へのイスラエルの関与を理由に、治安上の問題を理由としてイスラエル大使の招待を拒んだ長崎市。それを説得できなかった日本政府。こうした視野狭窄的対応が、米国大使に欠席の口実を与えてしまった。

 第二の問題は、パリ・オリンピック最大の立役者の一人である卓球の早田ひな選手による帰国後の記者会見での発言を問題視した、一部メディアの対応だ。平和な時代に卓球ができる幸せを強調する文脈で、「鹿児島の特攻資料館に行きたい」と述べた発言を問題視。中国選手が早田選手による短文投稿サイト「微博」のフォローを外した、などという些細な話をことさらに取り上げ、「早田選手は中国人の越えてはいけないラインに抵触した」などというネット上の声をニュースとして取り上げた。相変わらずの「マッチポンプ」ぶりには、「恥を知れ」と言いたい。

 そして、恒例の靖国神社参拝。国家の次期リーダーたらんとする高市早苗、小林鷹之、小泉進次郎各氏が参拝したのは当然だ。だが、他の候補は何をしているのか?それにつけても、現職の岸田総理こそ、現在の日本が享受する平和と繁栄の礎を、身命を賭して築きあげた英霊に尊崇と哀悼の念を表すべきだろう。退陣を表明した今、いつ表すのか?真榊を送り続けるだけが能ではあるまい。

 来年は大東亜戦争終了80周年だ。某主要紙が「大東亜戦争」でも「太平洋戦争」でもなく、「さきの大戦」と呼び続けるべきとの社説を大々的に掲載したことには暗澹たる気持ちを抱いた。

「さきの大戦」とは、戦後50周年の村山談話で政府が用いた用語だ。日本が直接の当事者とならなかったにせよ、1945年以降、世界は朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争を目の当たりにしてきた。何よりも、日本はしかるべく役割を果たして冷戦の勝利に貢献したはずだ。今や冷戦後の曖昧な時代が終わり、国際秩序に挑戦する権威主義体制にまみえている。パラダイムは変わったのだ。

 なのに、いつまでも「侵略」と戦争の惨禍を忘れまいとばかり「さきの大戦」を強調するのは、偏向した思考停止でないか?中国共産党、北朝鮮労働党、プーチンのロシアなどから次から次に歴史戦をしかけられ、いまだに謝罪と補償、領土強奪を認めよと迫れられている戦略的現実には目を向けないのか?

 80周年は、こうした自虐と戦略眼の欠如に終止符を打つ年とすべきだろう。

●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、00年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年オーストラリア日本国特命全権大使に就任。23年末に退官。TMI総合法律事務所特別顧問や笹川平和財団上席フェロー、外交評論活動で活躍中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)がある。

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