著者はあとがきで「本書だけは世に送り出したかった」と述べている。高齢と体調不良を押して書いたのは「新赤版2000点突破記念」に合わせたかったからであり、岩波新書の発刊には「真理を探究する学問への弾圧の歴史が刻印されている」と著者は言う。
岩波新書が創刊した1938年は、日本が日中戦争から太平洋戦争へと向かう時代であり、言論弾圧「矢内原事件」をはじめ、平和主義者が次々と追放されていく時代だった。それは現代と重なる。「理想を求めて行動を起こさなければ、人間の社会は滅びる」と著者は警告する。
財政学の権威である著者は、本書で財政の基本的な考え方を、論理的かつ丁寧に説明する。いまジャーナリズムで財政というと「財政健全化」あるいは「財政規律派」「積極財政派」という文脈で使われることが多い。だが「財政とは経済と政治との交錯現象」なのだと著者は言う。どういう意味か。
資本主義社会では、さまざまなものが市場で取引される。物やサービスの値段は市場で決まり、あらゆるものがカネで買えると豪語する人もいる。だが、それは妄想だ。現実には、市場に任せては、うまくいかないものがたくさんある。
典型的なのが福祉分野。高齢者施設ひとつとっても明らかだ。もし市場が万能なら、ニーズに合わせて多種多様かつ潤沢な施設があらわれるはずだ。しかし、現実には圧倒的に施設数もそこで働く人も足りない。そのギャップを埋めるために介護保険制度が導入され、さらに足りない分には、税金が投入される(それでもまだまだ足りない)。
市場と現実社会との矛盾を解決し、社会全体を持続させる仕組みが財政だ。人々から税を徴収し、市場原理ではうまく回らないところに分配していく。ところが、20世紀の終わり頃から世界的に新自由主義が勢力を拡大し、財政の領域が狭まっている。その結果、格差は広がり、社会の分断も深まった。その一方で、地球温暖化をはじめ環境破壊が進み、人類が生存できなくなる日も近いと危ぶまれる。著者の危機感はここにある。
税を集めて分配するのが財政であり、その徴収方法や分配方法を決めるのが政治である。だが(本書では触れられていないが)、統一教会問題やパーティー券キックバック問題で明らかになったのは政治家たちの腐敗ぶりだ。彼らは、カルト的な宗教団体の影響を受けていたり、自分の選挙を有利にするために裏金を貯めたりしている。世界を見渡すと、どこも権力欲と、金銭欲に取り憑かれた独裁者ばかりである。このままでは「人間の社会は滅びる」という著者の予言のとおりになる。
希望の光はないのか。いや、まだあきらめるのは早い。本書には、北欧や仏独の地方自治体などの実例が紹介されている。共通しているのは民主主義と地方自治を機能させるべく、人々が知恵を絞っていることだ。むろん、日本にそのまま適用できるとは限らないが、参考になることは多い。
【「財政と民主主義 人間が信頼し合える社会へ」神野直彦・著/1100円(岩波新書)】
永江朗(ながえ・あきら):書評家・コラムニスト 58年、北海道生まれ。洋書輸入販売会社に勤務したのち、「宝島」などの編集者・ライターを経て93年よりライターに専念。「ダ・ヴィンチ」をはじめ、多くのメディアで連載中。