金正恩が「全国母親大会」で滂沱の涙、北朝鮮最大のタブー「日本生まれの母」への想い

「誰もが困難な時期には、自分を産んで食べさせ着させ、第一歩を踏み出せるように育ててくれた母親のことを思います。私も党と国家事業を担当して苦労するたびに、母親たちのことを思います」

 12月3日、北朝鮮で11年ぶりに「全国母親大会」が開催され、集まった子供を持つ約1万人の母親を前に、そう語ってハンカチで涙をぬぐった金正恩総書記。

 同大会は、表向き「女性の地位、役割の向上が国力強化に貢献する」という決起集会的な意味合いがあるとされるが、その裏には女性の尊厳を強調することで、このところ頻繁にお披露目される娘ジュエ氏を後継者とするための準備である、と報じる韓国メディアもある。

 むろん、正恩氏が流した涙の真意はわからない。ただ、同氏の母・高容姫氏が「日本生まれ」であることが、白頭の血統を尊ぶ北朝鮮でタブー視されていることは有名な話だ。父・正日氏の正式な妻になれない母は、正恩氏ら3人の子供を懸命に育て、正恩氏も容姫氏に特別な愛情を抱いていたという。

 北朝鮮の事情に詳しいジャーナリストが解説する。

「高容姫は、済州島から日本に移住した高京澤の長女として1952年に大阪に生まれた在日朝鮮人で、60年代に一家で本国に帰還しました。その後、万寿台芸術団在籍中に、正恩の父・金正日総書記に見初められ、正哲、正恩、与正という3人の子供を産んでいます。金正日には生前、成蕙琳、金英淑、高容姫、金玉という4人の女性がいましたが、結婚したのは金英淑だけ。容姫は正日の寵愛を受けたものの『元山宅』と呼ばれる第3夫人扱いで、彼女の子供たちも幼少期は祖父の金日成主席に会ったことがないとも言われています」

 そんな母、容姫氏が乳がんによりパリの病院で死去したのは2004年の夏のこと。しかし、北朝鮮とフランスには国交がなかったため、韓国政府の仲介により遺体を平壌に戻すことになるのだが、その際異例の働きかけをおこなったのが正恩氏だったという話もある。

「北朝鮮では、金正男の母である成蕙琳が亡くなった2002年頃から、次期後継者として正恩が浮上。時を同じくして国営メディアは、母親の高容姫を『共和国の敬愛なる母』『尊敬する母上様』などと呼び、偶像化の動きを加速させました。一方で、正恩の言動からは、2011年に死去した父・正日の偉業は称えるものの、父親として敬慕の念を感じられることはあまりない。逆に複数の愛人をつくり後継問題を複雑化させた父親を否定的に見ているところさえ見受けられます。だからこそ、あえて早い段階から後継者の存在を公にし、年端もいかない娘に『尊貴なお子様』『女軍』などとメディアに呼ばせているのではないか。今回の涙にも、娘への愛情、母への郷愁など、いろんな思いが詰まっているという見方もできそうです」(同)

 先日は、父娘の“ペアルック”が話題となったが、革のコートは幹部でさえもめったに着ることが許されない「最高指導者の象徴アイテム」と韓国メディアは報じている。日本でいえば女子小学生の年齢であるジュエ氏の、偶像化・神格化がどんどん進んでいる。

(灯倫太郎)

ライフ