11月15日に95歳で死去した創価学会の池田大作名誉会長。そんな池田氏に対し、元オウム真理教幹部で「ああ言えば上祐」と言われ連日マスコミに登場していた、宗教法人「ひかりの輪」代表の上祐史浩氏が19日、自身のX(旧ツイッター)を更新。《心よりお悔やみ申し上げます。生前、オウム真理教時代において、大変ご迷惑をおかけしたことにつき、改めて深くお詫び申し上げます》と追悼の意を表したことが、一斉にメディアで報じられた。
上祐氏が指す「大変ご迷惑」というのはズバリ、オウム真理教が実行した池田氏暗殺未遂事件のことで、犯行が行われたのは1993年11月と12月の2回。
「この事実は、一連のオウム関連事件裁判の中で明らかになったもので、1回目はオウムの幹部4名が車にサリンの入った農薬噴霧器を載せ、東京都八王子市で開催されていた行事に出席中の池田氏に向けサリンで攻撃を行うも、サリンが霧状にならず失敗。2回目は、創価大学で開かれる演奏会に池田氏が出席するという情報を入手した犯人グループが、サリン噴霧機を積んだワゴン車で現場へ向かったものの、途中で火災が発生。不審に思った学会側の警備担当者に追跡され、走りながらサリン溶液を噴霧したというものです。両件とも、刑事事件として立件はされなかったものの、この事件をきっかけに池田氏の身辺警護体制が強化されたというのは有名な話です」(社会部記者)
上祐氏は自身のXで当時を振り返り、こう綴ってる。
《私自身はロシア赴任中であったことと、被害が立たず起訴されなかったため、一切は1995年のサリン事件発覚以降に報道を通して知ることになったため、池田大作氏個人を狙ったものかなどを含めて、詳細は分かりませんが、オウム教団が創価学会にサリン散布を試み、(学会側には被害がなく)逆に散布した幹部信者が、サリンを吸引して治療を受けたと思われます。その前後に、幹部信者がロシアを麻原と共に訪れ、原因は分かりませんでしたが、体調を崩していたことを記憶しており、時期が一致します》
たしかに、上祐氏は1992年からロシア支部に派遣されているため、犯行時には日本にいなかったが、95年、地下鉄サリン事件発生後に帰国。その後は教団の広報責任者として、幹部らとともに、連日テレビの報道番組やワイドショーなどに出演し、教団のPRに務めていたものだ。
「信者らが次々と微罪や別件で逮捕される中、逮捕者の名前が記されたフリップを手に『まただ~、私はあまりごちゃごちゃ言いたくないんですよ、これ(フリップ)見たら分かるでしょう? 馬鹿らしいですよこんなの!』とフリップを投げ捨てたり、村井幹部刺殺事件直後の会見では、麻原彰晃代表は記者会見を開かないのかとの質問に対し『麻原を殺す気ですか今度は? 尊師を今度は殺すんですか!?』と激昂する姿が生中継されたこともありました」(同)
そんな上祐氏がなにをもって今、池田氏を追悼し謝意を示したのかはわからないが、SNS上でも《なんで今さら?》などの疑問の声がみられる。地下鉄サリン事件から28年、上祐氏の突然のX更新に波紋は広がるばかりだ。
(灯倫太郎)