梶原しげる「アルツハイマー型認知症」を語り尽くした(1)初めてラジオで戸惑いを感じた

 高齢化社会の日本で患者数が増加の一途をたどっているのが「アルツハイマー型認知症」だ。もの忘れに始まり、記憶が徐々に失われていく病は誰にとっても対岸の出来事ではない。そんな深刻な病を公表したベテランアナウンサーの梶原しげる氏が、等身大の「老活ライフ」をありのままに語る!

「あれは引退宣言ではありませんよ!」

 こう柔和な笑顔で軽妙に語りかけるのはフリーアナウンサーの梶原しげる氏(73)だ。9月5日に放送された「徹子の部屋」(テレビ朝日系)でみずからのアルツハイマー型認知症を告白。異例のカミングアウトだけに大きな反響を呼んだが、その理由を梶原氏は次のように話す。

「あれは、1年前の放送でしたっけ? え、2カ月ぐらい前でしたか‥‥(笑)。周囲の人たちに心配されるのが嫌だったんでしょうね。仕事の行く先々で変に気を遣われるのはつらいものがある。それで、マネージャーと相談をしてメディアに公表することを決めたと思います。もちろん、これからも仕事は継続していきますよ」

 73年に文化放送に入社してからフリー時代を含めると「アナウンサー」のキャリアは半世紀にわたる。折あしく、病気の兆候は昨年4月、仕事中に訪れた。

「4月1日に、文化放送の開局70周年を記念して復活した『梶原しげるの本気でDONDON』でした。しゃべり出しから『あれ? なんか声が違くないか』とモヤモヤする感情が湧いてきたのを覚えています。『ちょっとマズいぞ‥‥』と思いながらも最後まで問題なく、トチることもなく進行できたんですが、生まれて初めてラジオで戸惑いを感じました。俯瞰して自分を見ていたんですが『お前、何か空回りしているぞ!』と心配になる場面ばかりで‥‥」

 みずからが抱いた違和感は図星だった。周囲のスタッフも戸惑いがあったという。

「実際の放送を聴くといつもどおりの声なんです。ただ、昔から一緒にやっているスタッフは私の不調に気づいていたみたい。後日、マネージャーあてに『梶原さん大丈夫?』と電話があったそうです。改めて思い返してみると、スタッフは心配そうな表情を私に向けていたかもしれません。ラジオは4〜5人のスタッフが近くにいるだけに非言語的コミュニケーションが痛いほど伝わります。例えば私が冗談を話したら『何言ってんの(笑)』とユーモアたっぷりの表情でレスポンスをくれたもんです。よっぽど、私の表情やしぐさが普段と違っていたんでしょうね」

 この収録を皮切りに、仕事の現場に向かう途中で道に迷うことが頻発。昨年の5月に周囲の勧めもあって昭和大学病院で検査を受けた。

「道に迷うことは前からあったことだから、この点についてはあまり深刻に考えていませんでした。それが、病院に行ったら初期のアルツハイマー型認知症だと聞かされて。そこから、お医者さんに処方された薬を飲んでいます。処方箋を見てもダイレクトに認知症とは書かれてないですが『体の緊張を解く』とか、うまいことボカした書かれ方をされています(苦笑)。ちなみに貼るタイプのもの(イクセロンパッチ)も1度処方してもらったんですが、吐き気を催してしまい、今は使用を止めています。薬を体になじませるまでがひと苦労なのをこの年になって初めて知りました(笑)」

 怒濤の1年半を振り返りながらも、パッと華やいだ表情で話すあたりは、さすがベテランアナならではだろう。

梶原しげる(かじわら・しげる)1950年、神奈川県生まれ。早稲田大学卒業後に文化放送に入社。92年にフリーとして独立。22年5月に「アルツハイマー型認知症」と診断を受ける。現在は「アルツハイマーの伝道師」として病に苦しむ人たちが元気で前向きに生きられるように活動中。

ライフ