町会名簿を作る仕事を始めてからの僕は周囲の方々のアドバイスやサポートを受け、コミュニケーションスキルなどビジネスのノウハウを学びました。
立ち上げた会社は大忙し。15人ほどのアルバイトを雇用して、年収も5000万円くらい稼げるようにもなりました。でね、この商売の何が魅力かって、納期がゆる〜いってこと。だいたい3カ月に1度のペースで作ればいいから、自由な時間がたっぷりと取れるんです。
ですから僕、当時はしょっちゅう海外に行ってました。例えば日本で2週間働いたとすると、1週間は海外に行くっていう感じ。遊びに行くだけじゃありません。安くて小さな舟も売ってました。
あれは確か29歳の頃です。日中友好協会の副会長からこう言われたんです。
「いつも電話をかけると“社長は留守です”って言われるんだけど、キミ、いったいどこで何をしているの?」
「僕、東南アジアに行ってるんです。食べ物は旨いし、面白い土産物屋さんもあって大好きなんです」
そう答えました。すると、会長からこんな提案をされたんです。
「これからは中国の時代がやってくる。どうだ、私が紹介するから中国で勝負をしてみないか」
こうして僕は北京へと渡ることになりました。忘れもしない天安門事件(1989年)の3日前。北京首都国際空港に降り立ったのはいいけど、人が全然いないんです。途方にくれていると、ひとりの青年が声をかけてきました。
どうやら彼は白タク業者のようでした。ただ、中国語も英語も喋れなかったので、僕は「北京に行きたい」と紙に書いてお札をピラピラと見せました。商談は即成立。青年は顔をほころばせて「OK! OK!」とジェスチャーしてみせました。
ホッとしたのも束の間、車に乗ってしばらくすると車窓から見える景色が真っ暗な山林へと変わっていったんです。どうなるんだろう…恐怖で体を硬くしていると、いきなり車が止まって、若い女性が乗り込んできたのです。
さっきまでの恐怖心はどこへやら。僕の心は小躍りしました。
「そうか、この女の子を僕に紹介したいんだな。この娘と遊びなさいって事なんだ!」
もうウキウキです。ところが、しばらく走るとその女性、車を降りて行っちゃったんですね。乗り合いだったんでしょうか。もうガッカリですよ。
しかも、前日までの大雨のせいで今度は車がエンストして動かなくなってしまった。やむをえず、通りがかったトラックの運転手さんに5000円ぐらい払って北京のホテルまで乗せて行ってもらうことになりました。そしたらね、着いたホテルというのが高級ホテルだったんです。たぶん3万円ぐらいだったと思います。
それまでは僕、せいぜい5000〜1万円ぐらいのホテルにしか泊まった事がなかったものですから、部屋に入ってもうビックリなわけですよ。美味しそうなフルーツが山盛りになっているんですもん。
“ああ、食いてぇなぁ〜。でも、きっと高いんだろうなぁ〜”と思いながらぐっと我慢しました。
後になってわかったことですけど、あのフルーツはウエルカムフルーツといってタダで食べられるものだったんですよね。あの時、あのフルーツを食べなかったこと。それは人生の中でも大きな後悔の1つとなっています。
石田重廣(いしだ・しげひろ)株式会社夢グループ、株式会社ユーコー代表取締役社長。1958年7月1日生まれ、福島県出身。自ら出演する「夢グループ」のテレビショッピングで大人気。昨年、保科有里とのデュエット曲「夢と…未来へ」で歌手デビュー。