【オールナイトフジ】高樹沙耶「テレビで流していいの!?」踊り子の芸にア然/あの深夜番組ヒロインを直撃!

 赤面する女子大生による艶ビデオ紹介コーナーなど数々の過激な企画で、男性たちに熱狂的に支持されたのが「オールナイトフジ」(フジテレビ系、83〜91年)だった。86年より1年間、この番組の司会進行役を務めたのが女優の高樹沙耶(60)。時空を飛び越え、その舞台裏をプレイバックする!

 モデルや女優として活動していた高樹にとっては、初めてのバラエティー番組への出演がこの「オールナイトフジ」だったと、当時を述懐する。

「熱心に観ていた番組ではなかったのですが、何となく『男性を喜ばせる番組ね』という印象はありました(笑)。でも、その時は何でも挑戦しようという時期だったので、嫌な気持ちよりも、むしろ楽しんでやろうという思いの方が強かったですね」

 そんな高樹が今でも印象深く記憶しているのが、ハダカの踊り子さんが登場する企画だったという。

「妖艶なお姉さんたちが続々と登場して、体を使った一芸を披露していくんです。いちばん驚いたのが、下半身にピンポン玉を入れて、ポーンと飛ばす芸でした。いくら深夜番組といっても、『こんなこと、テレビで放送してもいいの!』っていう思いになりましたね(笑)」

 テレビで花電車が見られる時代があったのだ! こうした過激な企画と並び、思い出に残っているのが共演するお笑い芸人だったという。特に、若手有望株として人気上昇中だったとんねるずは別格だった。

「まず、瞬発力がすごかった。コメントを求められると、瞬時に面白いことを返しちゃう。それに、夜中の番組だったので、いくら当時若かったといっても、他の仕事が忙しいと、途中で疲れてくる時もあるんですね。とんねるずさんも、とても忙しかったはずなのに、ずっと元気なの(笑)。番組が終わると、フジテレビ近く(新宿・河田町当時)の居酒屋さんに繰り出して、出演者やスタッフと打ち上げをするんですが、そこでもずっと元気なんですよ。番組に出演している時と変わらず、周囲を楽しませてくれましたよ」

 毎週がお祭り騒ぎのような番組に影響され、高樹もバブル時代を謳歌する日々を送っていた。ところが、この番組に出演したことが、その後の人生に大きな影響を与えることになった。

「ある時、物質的な豊かさと正反対の方向に進もうと決めて、フリーダイビングや自然に関わる生き方を目指し、以来、役者の仕事とは距離を置いて活動をしてきました。映画やテレビでたくさんお仕事をさせていただく中でそう感じたのですが、『オールナイトフジ』での経験も、そうした生き方を志向する1つの理由にはなっていますね。思いっ切り楽しく遊んでいたのは、ちょうどその頃でしたから」

 あれから約40年が経ち、今年春からは「オールナイトフジコ」としてリニューアルスタート。令和での復活に驚きを隠せない高樹だが、もしも出演オファーが来たらどうする?

「テレビ出演は無理じゃないかな(笑)。医療大麻の解放に関する活動もしてるし、マスコミに中指を立てたような形で芸能界から去っちゃいましたからね。でも、オファーがあるなら歓迎しますよ。何でも好きに言ってもいいという御意見番として出演できるなら。当時、番組のディレクターだった港(浩一)さんが社長なので、もしかすると実現する可能性もなくはないですよ。ぜひ、オファーをお待ちしています!(笑)」

 社長、どうぞ前向きにご一考ください。

高樹沙耶(たかぎ・さや)63年静岡生まれ。83年映画「沙耶のいる透視図」で鮮烈銀幕デビュー。02年フリーダイビングで水深45メートルの日本記録を更新。現在は石垣島に移住し、医療大麻解禁の運動を続ける。今年6月に発表した「大麻ラップ」が話題に。

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