プリゴジン夫人が葬儀翌日の墓地に…姿を消していた糟糠の妻と3人の子供

 ワグネル創設者、プリゴジン氏の葬儀が8月29日、サンクトペテルブルクで親族だけでしめやかに執り行われた。当初、身内だけでの葬儀は親族のたっての希望と報じられていたが、30日付の独立系メディア「モスクワ・タイムズ」によれば、実は葬儀の規模と内容をキリエンコ大統領府副長官と連邦保安庁(FBS)高官らが協議し、親族がそれに従う形で執り行われたようだ。

 そんな背景もあってか、ロシアのテレビ局は葬儀に関する報道を黙殺。唯一、「ロシアテレビ」だけが1分程度取り上げたものの、「第1チャンネル」や「独立テレビ」などの主要メディアは一切この話題に触れなかったという。

「モスクワ・タイムズの報道によれば、生前のプリゴジン氏には『ロシアの英雄』という称号が贈られていたものの、当日は国歌演奏・国旗掲揚どころか、葬儀の写真や動画撮影も禁止されたようです。このあからさまともいえる冷遇ぶりが、同氏に対するクレムリンの姿勢を如実に物語っています」(全国紙国際部記者)

 翌30日朝にはプリゴジン氏の妻、リュボフ・プリゴジナ氏と娘が、彼が眠るポロホフスコエ墓地を訪れた。これは葬儀の翌朝に、故人の魂を安らかに天に送るため、親近者が墓を訪れ祈りを捧げるというロシア正教の風習があるからだ。

 妻のリュボフ氏はプリゴジン氏より9歳年下の53歳。夫人自身も、サンクトペテルブルクにある複数のウェルネスセンターやチョコレートショップチェーンのオーナーを務める実業家で、夫が所有するコンコルド・グループなど、多くの会社の役員も兼務しているため、西側からは国際的制裁の対象リストに名を連ねている。

「夫人のプロフィールを伝えたメディアによれば、2人は90年代、まだ彼女が大学に通っていたころに知り合い、結婚。ふたりの間には、ポリーナとヴェロニカという2人の娘(1992年と2005年生まれ)と、1998年生まれの長男・パヴェルがいることが明らかになっていますが、それ以外の情報は皆無です。プリゴジン氏が行方不明になった後、空撮された邸宅には、ヘリコプター発着所やバスケットボールコート、プールなどが併設されており、一家はこの城のような豪邸で暮らしていたようですが、3月の反乱以降、妻子も豪邸から姿を消していたとされます。どこかに身を隠していたか、あるいはクレムリンの監視下に置かれていたのか。いずれにせよ、久しぶりの公の場が夫の葬儀とは…覚悟していたとはいえ、辛い現実を受け止めることになってしまったようです」(同)

 プリゴジン氏は寄宿学校を18歳で卒業後、2度の窃盗や強盗で逮捕され、刑務所に9年間服役。1990年に出所し、その後開店したホットドックチェーンを皮切りに、数々の事業を大成功させていく。

 飛行機事故後、プリゴジン氏が20年前に出版した童話にプレミアがつき、高値で取り引きされているとの報道もあった。

「この本は『インドラグジク』というタイトルで、プリゴジン氏が2000年代初めに息子と娘と一緒に創作し、『アガート』という小さな出版社から刊行したものです。印刷部数は2000部で知人へのプレゼント用だったようですが、2000年代初頭と言えば、おそらく事業がちょうど軌道にのってきたころ。本の最初のページには家族写真が掲載され、全員が笑顔で一つのフレームに収まっている。当然のことながら、20数年後にこんな結末を迎えるとは知る由もないので…写真には幸せが滲み出ています」(同)

 プリゴジン氏の家族は、この写真にどんな思いをはせるのだろうか。

(灯倫太郎)

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