華やかなプロ野球の世界に入団したものの、大成できるのは、ほんの一握りの選手だけだ。
2019年シーズン、3年ぶりに巨人の監督に復帰した原辰徳は開幕前に、「オールスター前までは、いろいろな選手を試しながら選手の力量を見極めていきたい」と話していたが、これは本音だったはずだ。なぜなら、原が監督を退任した15年からわずか3年を経過しただけだというのに、支配下選手登録の50人以上が入れ替わっている。一般人には想像もできないほど、過酷な競争を強いられる世界なのだ。
引退した選手の多くは、指導者の道に進むのではなく、一般社会で働くケースも多い。2018年、日本野球機構(NPB)が、秋季教育リーグに参加した12球団の選手に「セカンドキャリアに関するアンケート」を実施したところ(回答252人、平均年齢23.5歳)、引退後に就きたい職業(セカンドキャリア)の1位は「一般企業で会社員」で15.1%。2位が「大学・社会人指導者」(12.3%)、3位が「社会人で現役続行」(11.5%)、4位は「高校野球の指導者」(11.1%)、5位「海外で現役続行」(8.7%)となっている。
指導者の道を選ぶのは、これまで培ってきたキャリアを生かせる最適な進路と言える。それなのに「一般企業で会社員」を希望する選手が多いのは、将来を見据えたとき、「長く安定した生活を送りたい」との考えからだろう。
たとえば、プロのコーチに就くとしたら、1年1年が勝負になる。チームの成績が不振であれば、容赦なくクビを切られることもザラ。傍から見てもじつに不安定な仕事である。であれば、好きな野球をいったん切り離し、堅実に生活できる道を探してもなんら不思議ではない。
二松学舎大附属高校-亜細亜大学中退-JR東日本を経て、2008年に横浜にドラフト5位で入団。その後、足掛け9年にわたって現役生活を送った小杉陽太氏も例外ではなかった。初の著書『僕たちのLIFEシフト 「戦力外通告」をプラスに変えた転職の思考』(徳間書店)で、小杉氏は戦力外通告後にどんな選択を迫られたのか、同じ境遇の元選手たちと語り合っている。それぞれの戦力外通告の受け止め方が興味深いのだ。
「17年に球団から『来年は契約しない』と言われたとき、“とうとう来たか”と覚悟していました。でも、トライアウトを受けてまで野球を続けようとは思わなかった。僕は当時、ロングリリーフや敗戦処理を任されていた。その役割は30歳を過ぎた自分ではなく、若手選手だって十分まかなえる。だから未練はなかったんです」
小杉氏は次のステージへの道を歩むべく、新たなスタートを切ろうとしていた。
(小山宜宏)