テリー 世間には古市さんをコメンテーターとして知ってる人も多いと思うんですよ。どうですかコメンテーターは、もう長いですけど。
古市 ニュースって毎日いろいろあるじゃないですか。だから、どうでもいいですっていう時は困りますよね。「どっちでもいいです」っていう。
テリー ありますよね。芸能人の不貞とか。僕も実は芸能人のこととか、あんまり知らないんですよ。騒がれたところで、「俺も女の子とデートしてるし、別にいいんじゃないの」ぐらいしか思わないですよね。
古市 テリーさんって番組や世間が求めるようなコメントをするわけじゃないですよね。結果的に批判されることも多いと思うんですけど、そういう世間の反応みたいなものはあんまり気にしないんですか。
テリー そうですね。それよりも、ちゃんとわかってくれる視聴者がいるので、その方にちゃんと話すべきじゃないかなっていうか。
古市 何割かに伝わればいいっていうことですね。それは僕もたぶん同じです。どちらにせよ全員に主義主張を理解してもらうのは無理ですもんね。テレビで出会う関係って、街角ですれ違って、ちょっと立ち話するぐらいの関係に似てると思うんです。一方で、本って2時間とか3時間かけて読むわけだから、書き手と読者が1対1で向き合う関係になる。賛成にしろ反対にしろ、意見を伝えるという意味では書籍のほうが向いていると思いますね。
テリー テレビのコメントはせいぜい30秒とか1分だから。誤解されやすいし、そもそも「そんな短い時間で伝えられるか」ってことも多いですよね。
古市 テリーさんは自分が誤解されていると感じた時に、反論はしたくならないんですか?
テリー もちろん忸怩(じくじ)たる思いはありますけど、しょうがないかなって。僕ね、今73ですけど、70ぐらいの時に「もう楽しいことしかしない」って決めたんですよ。70過ぎて、世の中の危機感を煽ったり、「これは由々しき問題ですね」とか言うことが果たして必要なのかなって。
古市 昔とマインドがちょっと変わった。
テリー そうですね。それより「70過ぎてもこんなにおもしろいことがあるんだ」みたいなことを伝えるほうが、僕なんかの任なのかなって思ってますね。
古市 今って、昔よりもコンプライアンスが厳格になりましたよね。それを良しとしてる人って一部で、みんな窮屈だと感じながらも、お互いに監視しあってやめられないみたいな状況になっている。その空気みたいなものを打破する存在が必要なのかなって思っているんですが、テリーさんには、そういう役割があるんじゃないですか?
テリー うーん。そうかなぁ。
古市 正直、年齢的にもいいと思うんです(笑)。若い人って先のことを考えて保険をかけちゃう傾向にありますが、実は高齢の人ほど自由に発言していませんか。田原総一朗さんとか木村太郎さんとか言いたい放題じゃないですか。
テリー 確かに(笑)。
古市 言論の多様性って大事だと思うんです。例えば新型コロナウイルスに関する情報をYouTubeは検閲をしていますよね。日本はテレビや雑誌など多様な媒体が残っているので、世界企業がより積極的に検閲を始めたとしても自由に物を言う余地が残される。テリーさんもこれから自由に発言してください(笑)。
(つづく)