85年4月、「夕やけニャンニャン」(フジテレビ系)の放送と同時に結成されたおニャン子クラブ(以下、おニャン子)。第一期メンバーで会員番号9番の名越美香(56)は、後輩思いの「教育係」と知られていたが、意外な一面も‥‥。
おニャン子入りのきっかけは「オールナイトフジ」の特別版「オールナイトフジ女子高生スペシャル」への出演だった。
「知人の紹介で夕方の生放送に出させていただいて、その番組スタッフの方から『夕ニャン』の出演オファーをいただきました。その時、出演期間は1カ月と聞いていたんですよ。それが1年半もお世話になるとは。『夕ニャン』は月曜から金曜まで夕方5時から1時間の生放送でした。始まった時はそれほど注目されていなかったので、メンバーは普通に電車で帰宅。学生だったので、時給5000円の割のいい放課後のアルバイトという感覚でしたね」
85年7月5日リリースのデビューシングル「セーラー服を脱がさないで」で状況は一変する。「今はダメよ 我慢なさって」の歌い出しがファンへ強烈なインパクトを残したのだ。
「歌詞を見て、みんなでザワついた記憶があります(笑)。メンバー全員、あんなに人気が出るとは想像もしてなくて‥‥。デビューイベントでは、池袋のサンシャイン60から生中継する予定だったのですが、会場に人が集まりすぎて中止に。急いでテレビ局に戻ることになって、石田さん(石田弘プロデューサー)の後ろについて、樹原亜紀ちゃんと『えー、なに? なに?』と言いながら会場裏の通路を走ったシーンを今でもハッキリと覚えています」
アルバイト感覚で始めた芸能活動は多忙を極めた。週末もメディア出演やレコーディング、ツアーに駆け回る日々。86年3月発売の「会員番号の唄」の歌詞では「泣いてばっかりいたせいで」と〝泣き虫キャラ〟をネタにされることも。
「きっかけは、豊島園のプールで生放送中に溺れて泣いてしまったこと。(片岡)鶴太郎さんが、そのシーンをうまくイジって笑いに変えてくれたんです。そうそう、ダンプ松本さんが竹刀を持ってスタジオに現れた時は本当に怖くて‥‥。当時はダンプさんの優しいお人柄を知らず、ただただ恐怖しかなかったですね。いつも一緒に過ごしたテレビ局の畳の楽屋で、城之内早苗ちゃんや工藤静香ちゃんが歌ってくれて感動して泣いたこともあります。今思うとかなり贅沢な経験ですね」
前述の樹原亜紀、立見里歌、白石麻子と組んだユニット「ニャンギラス」は2枚のシングルでオリコン1位を獲得し、アルバムもヒットした。
「あまり知られていませんが、音楽面では最高のスタッフをそろえていただいたんですよ」
86年のおニャン子卒業後は、イギリス留学を経て結婚を機に香港へ移住。子育ても一段落して、現在アカペラグループの一員として活動している。
「どこにいても自分は自分。そう割り切って、苦しい時でも楽しく笑顔で過ごすよう心がけています。アカペラは、私がもともとクリスチャンで、讃美歌の素晴らしさを知ってもらいたくて始めたんです。YouTubeで『SHEEP』『アカペラ』で検索して、覗きに来ていただければうれしいです」
解散から35年以上経つが、おニャン子はこれからも語り継がれることだろう。
「活動期間は短かったですが、今でも連絡を取り合うメンバーもいます。不思議な関係ですよね。メンバー、スタッフ、そして多くのファンの方々と共有する青春の1ページ。そこに仲間として入れていただいただけで、感謝の気持ちでいっぱいです」
*週刊アサヒ芸能1月19日号掲載