9日に投票が行われたフィリピンの大統領選挙で、ドゥテルテ現大統領が得た約1600万票を大幅に上回る歴史的圧勝で、次期大統領就任が確定的となったフェルディナンド・マルコス氏(64)。
マルコス氏はかつて独裁政権を敷いた故マルコス元大統領の一人息子で、地元の州知事を務めたあと、父マルコス氏の失脚とともに一家でアメリカに亡命。91年に帰国後、下院議員に当選、州知事に返り咲き、2010年から上院議員を1期6年務めている。
「大統領選では、インフラ整備や麻薬犯罪の取締りなど、ドゥテルテ政権の政策を引き継ぐと語るも、ほかの候補者との討論会を欠席、大手メディアの取材も拒否し、フォロワー数が600万人を超えるフェイスブックなどのSNSを巧みに使い、有権者に直接支持を訴えるというスタイルに終始しました。というのも、父であるマルコス元大統領は約20年にわたる独裁政権の下、人権侵害や不正蓄財など様々な問題が指摘され、結果86年の『ピープルパワー革命』で大統領の座から引きずり降ろされ、一家で米ハワイ州に亡命したという過去がある。ただ、人口の7割が40歳未満というフィリピンでは、すでにその事実を知らない若い世代が多く、討論会などで下手なことをしゃべるとイメージダウンになる恐れがある。その点、SNS上でなら、父親の功績をアピールするだけでいいですからね。その作戦が功を奏したようです」(フィリピン事情に詳しいライター)
とはいえこのマルコス氏、オックスフォード大卒と称していたが、実は卒業していないことが判明するなど色々と問題もあるようで、知事のほか上下院議員経験はあるものの、政治家として目立った業績は残していないという。
「正直、今回の選挙で最大の“ウリ”となったのが、元大統領とイメルダ夫人の『息子』であるということ。同氏は1957年、マルコス家の第2子として生まれ、元大統領が失脚した時は28歳。元大統領は滞在先のハワイで1989年に病死しましたが、家族はアキノ政権(当時)の反対を押し切って1991年に帰国。翌年には、イメルダ夫人が大統領選に立候補、フェルディナンド氏も95年に上院選に挑んだものの、いずれも敗北しました。ただ、一族の地盤である北イロコス州では、下院議席と知事職は一貫してマルコス家の誰かが務めるなど地元での人気は根強いんです」(同)
御年92歳のイメルダ夫人についても、全盛期に比べ影響力は衰えたとはいえ、90歳の誕生日にはマニラ首都圏パシグ市のスポーツスタジアムに約2500人の支持者が集まり、誕生日イベントが開催されるなど人気ぶりは健在なのだとか。
「マルコス元大統領を『史上最高の大統領』と称えるドゥテルテ氏に取り入って、2016年11月、その遺体をマニラ首都圏の英雄墓地に埋葬するというマルコス家の悲願を成し遂げた。そしてもう一つの悲願がマラカニアン宮殿への『凱旋』で、これはイメルダ夫人の執念とも言われています。つまり、今回の選挙で一族は最後の悲願を達成したというわけですが、肝心な政治家としての手腕は未知数ですからね。今後の行方が気になるばかりです」(同)
議会の承認を経て正式に確定すれば、来月30日には大統領に就任するマルコス氏。その政治手腕に国民の注目が集まっている。
(灯倫太郎)