「いつか目の覚めない朝が」三遊亭円楽が入院前に語った「圓生」への思い

 落語家の三遊亭円楽(72)が脳梗塞で入院したのは1月25日のことだった。レギュラーを務めていた「笑点」の大喜利コーナーは、春風亭小朝や桂文珍が代役を務めたが、大名跡の「圓生」はいまだ空席のまま。円楽が入院前に語っていた思いとは…。

 2月26日放送のラジオ番組「Grand Seiko THE NATURE OF TIME」(TOKYO FM)。パーソナリティの石丸幹二が月替わりでゲストを迎える番組に出演したのが円楽だった。「1月11日に収録した模様をお届けします」というアナウンスから、入院する約2週間前に語った内容だと思われる。
 
 円楽は2018年に肺がんの手術を受け、翌年に再発。初期の大腸がんが見つかったこともあり、「ひと月にいっぺん大学病院に行って治療をして、み(3カ)月にいっぺんCTやって、半年にいっぺんMRIとって、1年にいっぺん再発・転移がないかPET−CT(検査)でもとって、とにかく生きている間はそれが自分のルーティンになってるから」と定期的に検査を受けていたことを告白。さらに死生観について「うちの師匠が言ったのかな。『いいかい、いつか目の覚めない朝が来るよ』って言ったのね」と、その日まで悔いを残したくない思いを明かしていた。
 
「円楽さんの悲願が、7代目圓生の襲名。昭和の大名人・6代目圓生が1979年に亡くなって40年以上、空席になったまま。じつは10年ほど前にも、圓生の襲名問題が持ち上がって、弟子たちや圓生の遺族も巻き込んだゴタゴタがメディアで報じられました。ラジオで円楽さんは、止め名になっている状況を『宝の持ち腐れ』『もったいない』と語っていました。周囲の反対で円楽さん自身の襲名がかなわなければ、誰か別の人間に継がせる段取りだけは作りたい意向です」(演芸ライター)

 番組の終盤では、圓生がいまだ空席になっていることについて、「いわゆる落語協会脱退という負の連鎖があって、圓生問題も我々が背負い込んだ負の遺産。それを整理して終わるのが俺の役目だなと思ってるから」として、円楽を継いだ人間として「圓生というのを世の中に出すのが私の役目かな」と繰り返した。

 大名跡・圓生復活のためにも、円楽の早い快復が待たれる。

エンタメ