20年(2月11日)に亡くなられた野村克也さんをしのぶ会が、12月11日に神宮球場で行われた。ノムさんは「人望がない」とよく生前ボヤいていたが、そうそうたる顔ぶれが集まった。コロナの影響で随分と遅くなったけど、しのぶ会をやれて本当によかった。「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すは上」の言葉を好んで使っていて、まさにその通りの生き方やった。長いプロ野球の歴史の中でこれだけ「人を遺した」人物はいない。
僕は教え子というより、敵として対戦し、育ててもらった一人。会が始まる前に江本さん(元南海、阪神など)に会うと「話を使わせてもらうで」と声をかけられた。すると、弔辞の中で「あなたが発明したというクイックモーション。実際は福本の足が速すぎて、キャッチャー野村の肩ではどうしても間に合わなかった。だから監督野村が我々ピッチャーに命じたんですよね。もっとちっちゃいフォームで速く投げろ。南海の投手陣はアメリカからコーチを呼んで必死に練習しました。その結果、キャッチャーの肩をフォローしました」と、エピソードを明かしていた。
江本さんの弔辞に付け加えるとすれば、「それでも福本の足は止められなかった」やけどな。確かにクイックを使い始めた最初の頃はスタートが切れなくなったし、盗塁も失敗した。これではアカンと、そこからこちらも考えた。投手各自のリズムを研究して、それまで以上のスタートを切れるようになった。簡単に言えば「1、2、3」で投げるのか、「1、2」で投げるのか。タイミングは投手によってそれぞれ違っていて、癖がはっきり出る。それが分かってからはクイックであろうと、いくらでも走れた。捕手・野村との攻防の中で、僕もワンランク上の走者として成長できた。
コロナ禍で球場に行ける機会が少なくなったので、久々に会える人も多くてうれしかった。会場で僕が座っていた右横は江夏(元阪神、南海など)で、その横が田淵さん(元阪神、西武)、その横が若松(元ヤクルト)やった。そして、その前に座っていたのが日本ハムの監督に就任した新庄。「お久しぶりです」と僕らにしっかり挨拶していた。
チャランポランなように見えて、昔から礼儀はしっかりしている男やった。だから球界の先輩方から「監督として頑張れよ」と、心からの激励を受けていた。着用していたのは、ノムさんが生前に愛用していたベルサーチのジャケットとタートルネックのセーター。この日のために仕立て直したという。マスコミが食いついてくるネタをよく分かっている。ノムさんは愛嬌のあるボヤキで新聞記者へのサービスが得意やったけど、新庄もマスコミの向こう側にファンがいることを理解できている。
新庄だけでなく、しのぶ会に集まった教え子の現役監督は、ヤクルト・高津、阪神・矢野、西武・辻、楽天・石井。日本代表監督の栗山も含めて、今の球界を指導者として引っ張っている。高津は弔辞の中で最後にかけてくれた言葉が20年1月のスワローズOB会での「頭を使え。頭を使えば勝てる。最下位なんだから好きなように思い切ってやりなさい」だったと紹介していた。日本一の報告となる感動的な内容やった。
22年も新庄ら、ノムさんの教え子たちがプロ野球を熱くさせてくれることを期待したい。
福本豊(ふくもと・ゆたか):1968年に阪急に入団し、通算2543安打、1065盗塁。引退後はオリックスと阪神で打撃コーチ、2軍監督などを歴任。2002年、野球殿堂入り。現在はサンテレビ、ABCラジオ、スポーツ報知で解説。