平成の30年間に、その先のテレビ界を左右するバラエティ番組が数多く誕生している。ナインティナインや極楽とんぼ、よゐこ、オアシズなどをスターにした「めちゃ×2イケてるッ!」(フジテレビ系)、SMAPが国民的アイドルと呼ばれるきっかけとなった「SMAP×SMAP」(同)も、そのひとつだ。
めちゃイケは18年3月、およそ22年の歴史に幕を下ろした。スマスマはSMAPの解散によって16年12月、20年の節目で終了した。SMAPは同番組でバラエティスキルを高め、“平成のドリフターズ”と呼ばれるに至ったが、その礎は「夢がMORIMORI」(フジテレビ系)で築かれたと言ってよい。
“夢MORI”はスマスマがはじまる前年(95年)まで、23時半というフジの得意枠で放映されていた。この番組でSMAPメンバーはナインティナインとの絆を深めている。
「ダウンタウン、ウッチャンナンチャンがブレイクするきっかけとなった『夢で逢えたら』の後枠でした。そして、この夢MORI終了後にスタートしたのが、めちゃイケの前身番組である『めちゃ×2モテたいッ!』。SMAPからナイナイにバトンが渡されたわけですが、実は“夢MORI”にナイナイがゲスト出演しています。そのとき、岡村はメンバー6人(当時)に電話番号を書いた紙を渡しているのです」(芸能記者)
夢MORIはフジのバラエティ全盛期に、「笑っていいとも!」やスマスマをヒットに導いた荒井昭博プロデューサー(現・BSフジ常務取締役)が手がけた。荒井PはSMAPに厳しく、リハーサルの段階から「おまえら、しっかりやれよ。手を抜くなよ」とハッパをかけていた。それを見たゲストのナイナイは戦慄して全力でリハに臨み、荒井Pから『見てみろ、ゲストのナイナイさんを』と言われたときは、心底安堵したという。そして収録後、〈矢部浩之(おっきいほう) 岡村隆史(ちっさいほう)〉と書いた紙をSMAPに配った。
「ナイナイの2人から『何かあったら電話してください』と言われたそうですが、SMAPからすると特に用事はない。しかも、携帯電話がない時代。書かれていたのは、大阪の実家の番号(笑)。それでも連絡をしたのが、木村拓哉でした。電話をとったお母さんから『木村さんから電話やで』と言われた岡村は、てっきり芸人仲間のバッファロー吾郎の木村明浩(バッファロー吾郎A)だと思って替わったら、『もしもし、僕ですけど』と耳馴染みのない声。『えっ、木村拓哉さんですか?』と聞き返すと『そうだよ』と返ってきて、仰天したそうです」(前出・芸能記者)
しかし、岡村がその後SMAPで親しくなったのは、中居正広。「笑っていいとも!」で共演したのが大きく、99(ナインティナイン)+1(中居)で“100(ワンハンドレッド)”を結成したこともあった。
警戒心が強く人見知りが激しい岡村だが、中居とは“めちゃモテ特番”として始まった「ナインティナインの出世街道!モテさせてくれてありがとうスペシャル」(1996年)から「日本一周72時間ホンネの旅」(2018年)までのおよそ22年間、全11回のハードロケで打ち解けて、今では互いが親友と呼べる仲だ。ちなみに、3人はこの企画で日本を10周も周った計算になる。
平成のバラエティをけん引した彼らには、アラフィフになった令和の時代にも何かを仕掛けてほしいものである。
(北村ともこ)