与田監督、退任でも”中日残留”が内定した理由は…

「立浪竜」誕生へ。首位・東京ヤクルトを迎えての一戦前(10月12日)、加藤宏幸球団代表がOB・立浪和義氏に監督就任を要請したことを打ち明けた。

「与田剛監督は五輪明けの後半戦が始まる前に辞意を伝えていたようです。成績の不振の責任を取りたいとし、球団も強くは引き止めなかったと聞いています」(名古屋在住記者)

 今春のキャンプで立浪氏が臨時コーチを引き受けた時点から、新体制は予想されていた。チームの成績不振もあって、加藤代表の言葉に「やっぱり」の声も多く聞かれたが、意外だったのは、退任後の与田監督の去就。加藤代表は「何らかのポストは用意する」考えを示した。

 肩書だけかもしれないが、チームに残るというわけだ。

「与田監督はチームOBですが、実働はルーキーイヤーだけ。侍ジャパンのコーチを務めるなど引退後も野球界で活躍してきましたが、中日指揮官としての成績はイマイチです。3年間でAクラス入りが1回だけ」(同前)

 立浪氏のように、名古屋に根強いファンが多くいるとも聞かない。それでも、退任後の残留が決まった理由は“タイミング”にあるようだ。

「前半戦を終えた時点でのチーム防御率は、3.14。リーグトップどころか、12球団1位でした。規定投球回数にも、柳裕也、小笠原慎之介、大野雄大、福谷浩司の4投手が到達していました。その前は『規定投球回数に達した投手がゼロ』なんてシーズンもありました」(球界関係者)

 投手陣を立て直してくれた、あとは打撃陣だけ。その功績が認められたという。

「監督適齢期の40代、50代の中日OBを見渡してみると、監督候補が少ないんですよね。OBを大切にしていかないとマズイとの意見も中日グループ内が囁かれるようになりました」(同前)

 40、50代のOBが現役だったころの中日は、トレードを積極的に仕掛けていた。また、活躍した期間が短かった選手も少なくない。チーム再建について真剣に話し合われていた時期でもあり、こうした“タイミング”が重なって、与田監督も傷つかずに退くことができたわけだ。

「シーズン中に次期監督の話が露呈するのは、むしろ良くないこと。中日幹部は全日程を終了するまで伏せておくつもりでしたが」(同前)

 立浪氏の周辺から露見したとの情報も聞かれた。その通りだとすれば、新監督の脇をかためるコーチ人事の交渉が難しくなる。コーチ組閣を発表するタイミングまで見誤まれば、立浪新監督は一歩目から躓くなるになるだろう。

(スポーツライター・飯山満)

スポーツ