「貴乃花との仲は?」テリー伊藤×花田虎上対談「連絡先も知らないんです」

 弟・貴乃花とのコンビで相撲界に「若貴フィーバー」を巻き起こした、三代目若乃花こと花田虎上氏。引退後はタレントとしても辣腕を振るう元横綱が、天才テリーとぶつかりトーク!  この対談に水入りはない!

テリー 花田さんが引退後、親方になって部屋を持っていたらどうだったのかな、とよく考えるんですよ。弟さんは、不器用なところもあったので夢半ばになりましたけれど。

花田 そうですね‥‥もし僕が親方になったとしても、横綱になるような強い力士を育てたいとは思わなかったです。大学の応援団出身の人たちって、企業が喜んで採用してくれますよね。たぶん、僕は横綱よりもそういう人材を育てたと思います。もっとも、ずっと相撲協会にいたら、僕はもう生きていないかもしれないですけど。

テリー それはどういうことですか。

花田 体はボロボロでも、どうにか心を保つことで今まで生きてきたんです。たぶんあの中にいたら、心もボロボロになったんでしょうね。

テリー 相撲協会という場所に、花田さんの一生を捧げるほどの魅力がなかったということですか。

花田 魅力がないというより、僕を生かすことができない場でしょうね。

テリー 花田さんを生かせないのは、例えばどういう点においてですか。

花田 ひとつのことを極めることは大切だとは思うんですが、逆に新しい要素を加えていくことが難しいんですね。僕なんかはエンターテインメントが好きなので、例えば土俵の上にスクリーンを入れて見やすくするなど、ショーアップする要素をもっと入れたい。今はいろんな国の人が見に来るようになりましたし、そういう楽しさを加えてもいいかなと思っていたんですが、そういう目線はなかなか受け入れてもらうことはできませんから。

テリー 伝統と革新の対立か、なるほどね。

花田 ましてや現役の横綱で、将来は理事長にもなれる実の弟がそこにいるわけです。もし一緒の組織にいたならば、大変になることが目に見えていましたからね。だって、弟の派閥の人から見れば、僕は邪魔者なわけですから。

テリー ところが、弟さんはそこでうまく立ち回れないまま、結局は辞めていきますよね。花田さんは、弟さんの選択をどう受け止めたんですか。

花田 うーん‥‥外に出たら正直、生きていけないよと思いました。「あなたが考えているよりも世間は楽ではない」と。もっとも、今の弟がどんな人物かはわからないですから。僕が知っている昔の弟とは、ちょっと違うので‥‥僕、テリーさんのお兄さんの玉子焼きをよく食べるんですけど、お兄さんと仲はいいんですよね?

テリー 10代の頃はぶつかることが多かったんですけれど、今は逆に仲がいいんですよ。

花田 そうなんですね。逆に僕らは10代の時すごく仲もよかったのに、ここにきて少しおかしくなってきちゃったので。

テリー 弟さんとは一時、仲直りするみたいな話もあったじゃないですか。

花田 弟が相撲協会を辞めた時ですよね。僕も連絡を待っていたんですが、結局は、何も音沙汰がなかったですね。そもそも僕、弟の連絡先も知らないんですよ。

テリー 言葉は悪いかもしれないですけれど、弟さんは生き方が下手なんですよね。

花田 相撲に限らず、全般的に若くして成功した人に言える傾向だと思います。逆に僕は、生まれた時からずっと脇役として生きてきた自覚があるので。常に父や弟という「主役」がいて、彼らがチヤホヤされるのを横で見て育ってきているから、苦労している人たちの気持ちがよくわかるんです。

テリー 花田さんのそういう部分を、世間は認識していないと思うんですよ。ビジネス界に進出して「Chanko Dining若」を始めた頃には、「こんなことで金儲けをして」とか揶揄されたこともあったりね。

花田 あの頃は大変でしたね。結局、ちゃんこ屋が29店舗、他の飲食店が36店舗まで増えたんですが、その分、借り入れも社員も増えますから、緊張で毎晩ほとんど寝られなくて。

テリー えっ、あれ、名義貸しじゃなくて、本当に経営していたんですか?

花田 はい。売り上げを上げるために、毎晩違う店にホストとして顔を出すんですが、ひどい時には一晩でシャンパンを16本飲みましたから。

テリー それはキツいね!

花田 ちゃんこ屋のオーナーですから、やっぱりそこはグラスじゃなくて、どんぶりで飲まないといけないんですよ(笑)。そうすると場も盛り上がりますし、「じゃあ俺らも」と他のお客さんも注文してくれて、売り上げがどんどん上がって行くわけです。

テリー なるほど〜、商才ありますね。

花田 でも最終的には、その会社も売っちゃいましたからね。実は、ちゃんこ屋のあとプロデュースを手がけた居酒屋が成功して、60店舗まで展開したんですけど、昨年の6月で全てやめました。

テリー えーっ、またそれはどうして。

花田 そもそもビジネスを大きく展開すること自体が僕には合わないですし、会社が大きくなれば、それに関わる人が多くなり、外からの圧力も強くなってきますからね。そうなると、うまくいく試しがありませんから、ここは潔く一切から手を引こうと。

テリー もったいないな。ビジネス方面にまったく未練はないの?

花田 いやあ、もう頭も古いと思いますしね。

テリー 何言ってるの、まだ49歳なのに。

花田 それよりも今は、家族で一緒にいる時がいちばん幸せです。家族そろって普通の喫茶店でアイスクリームを食べているだけで「あぁ、家族でいるのがすごく幸せだな、このすばらしさはお金じゃ買えない」と思えますから。

テリー じゃあ、これからの夢は何ですか。

花田 10歳と6歳の娘は将来「スポーツ選手」になりたいらしいんですよ。なので、彼女たちの夢をかなえてあげることが今の僕の夢ですね。

テリー それは期待できますね、何をやられているんですか。

花田 上の子がゴルフとテニス。下の子はまだちょっとわからないですけど。

テリー 相撲は?

花田 好きですよ。テレビでよく見ていますし、家で何かあるたびに「ハッケヨイ!」なんて感じで遊んでいますから。

テリー ハハハ、将来有望じゃないですか。花田さんのお子さんだから、運動神経もよさそうだし。

花田 いえ、運動神経うんぬんより、プロのスポーツ選手になるために大切なのは「心」ですよ。

テリー 心、ですか。

花田 同世代の子が遊んでいたり、さまざまな誘惑がある中で、毎日練習を続けてたったひとつのレールの上を進むのは本当にキツいんです。それをどう乗り越えていくのか、そこがプロの選手になる一番の鍵になると僕は思います。

テリー これまで聞いてきた話を振り返ってその言葉を聞くと、よりいっそう胸に響くね。これからのご活躍も、期待しています。

《テリーからひと言》これまで大変だったと思うけど、今は穏やかな時期なんだね。でも、まだ49歳だから。私設相撲部屋を作って、相撲を通じた人材育成をしてほしいな。

※「天才テリー伊藤対談」(了)

花田虎上(はなだ・まさる) 本名・花田勝。1971年、東京都生まれ。88年、明治大学付属中野高等学校を中退し、藤島部屋(のちの二子山部屋)に実弟の光司氏と入門。88年、初土俵。以降、「第66代横綱」に昇進するなど、13年間にわたって技能派の力士として相撲人気を牽引する。2000年に現役を引退、01年に日本相撲協会を退職し、芸名を「虎上」に改名。その後スポーツキャスターとして活動し、02年には「Chanko Dining 若」などを出店、飲食業界にも乗り出す。08年に一般女性と再婚、現在は6児の父として、タレント・相撲解説者として活躍中。

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