「志村さんより僕が逝くべきだったと思いました」
志村けんさんの訃報を受けて、自身のYouTubeチャンネルでこうコメントしたのは、薬物を使用した罪で3月4日に有罪判決を受けた田代まさし。志村けんに笑いのセンスを見出され、1987年スタートの人気番組「志村けんのだいじょうぶだぁ」(フジテレビ系)でサブキャストに抜擢されるや、タレントとしてブレイク。以降、数々のバラエティー番組で共演したことから、2人の“師弟関係”はこれまで何度も報じられてきた。
「2005年に薬物で実刑判決を受けた田代はその3年後に出所。ほとぼりが冷めてから、志村さんのもとへ謝罪に出向いて土下座したそうです。志村さんは冷たく突き放したそうですが、その後に発売された『だいじょうぶだぁ』のDVDにはきちんと田代の出演シーンが収録されていました。志村さんが制作サイドに、『カットしないで』と要望を出したことで、結果的に田代のタレント復帰の足掛かりを作ることになりました」(芸能関係者)
度重なる不祥事を起こした田代に“大人の気遣い”を見せていた志村さん。優しい人柄で知られる「爆笑王」のもとには、弟子入り志願の若者が殺到していたという。
お笑い関係者が振り返る。
「志村さんの周囲には“ボーヤ”と呼ばれる弟子がたくさんいました。ただ、芸人として大成したのは皆無で、たいていが舞台でエキストラをした程度で業界を去っていきましたが、いずれも“円満退社”でしたよ。その中で唯一、志村さんの逆鱗に触れたのが、型破りな芸風で知られる芸人S。志村さんに直談判して弟子入りし、1993年頃から車の運転手や身の回りのお世話をしていたのですが、テレビ番組の女性スタッフに一目ボレ。しつこく電話をしたり、つきまとったりで、今でいう“ストーカー”になってしまったんです。そのことが志村さんの耳に入り、容赦なく『破門』にしたのが真相。まあ、彼の芸風は志村さんの“大衆路線”とはかけ離れたシュールなものだったので、いずれは違う道を進むとは思っていましたが…」
志村さんが唯一「破門」にしたその芸人は、今も芸能活動を継続中。現在は映画俳優としてインディーズ作品にも出演しているという。彼は志村さんの訃報にどんな思いを抱いたのだろうか……。
(ラリー近田)