ドイツの2024年の経済成長率の予測は、G7で唯一のマイナス(0.2%)に終わる見込みだ。
ドイツは東西ドイツの合併による苦難の時期を乗り越え、長きに渡り欧州経済を牽引してきたEUの優等生だった。だが、ここ3~4年は少数連立政権で政治が不安定となり、緊急の経済政策が打ち出せず、自動車を始めロボット、産業機械、化学、電子機器などの産業が軒並み低迷し「欧州の病人」と呼ばれるように。中でもドイツ経済の象徴であり、国民の誇りであった自動車産業が致命的な打撃を受けている。
自動車産業の中心を占めるフォルクスワーゲン(以下VW)においては、国内3工場が閉鎖に追い込まれるほど不振を極めている。VWのドイツ国内の従業員は約12万人。3工場が閉鎖されれば、数万人規模でリストラされ、いずれは全工場の約12万人にその波が及ぶと警戒されている。
それだけではない。ドイツにはVWと並ぶメルセデス・ベンツ、BMW、アウディが世界を市場としているが、これらメーカーもVW同様(アウディはVW傘下)、苦境にあるのだ。いったいなぜ、世界を圧倒してきたドイツ車に象徴される独経済が「一人負け」に陥ったのか。
これは実に皮肉なことだが、世界に抜きん出て中国の自動車産業を育ててきた結果である。また、温暖化政策を掲げるドイツの政治事情でもある。
中国が自動車大国を目指したのは、毛沢東が倒れ、鄧小平が資本主義経済化を目指して改革解放を唱えた1979年以降のことである。当時、北京や上海の大都市でさえ自家用車を見かけることがないほど、自動車は普及していなかった。利用するのは共産党の大幹部だけで、中国全土の都市の大通りは自転車で埋まっていた。
当時、鄧小平は日本の自動車メーカーにも進出を呼び掛けたが、日本のメーカーは自動車の発展段階にないと見て断った。だが、大胆な賭けに出たのがドイツVW社だった。
この進出を中国政府は評価し、後に続く外国企業の進出を促すためにも厚遇した。ドイツの自動車は鄧小平亡き後も大事にされ、がむしゃらに中国ビジネスに突き進んだ。それとともにドイツ経済も、欧州経済の「牽引車」になった。
しかし、中国は21世紀に最強経済国家になる目標を掲げ、EV(電気自動車)、ロボット、太陽光発電、ロケット分野に力を注いだ。これにより、ドイツはEV開発で中国に後れを取った。しかも今年11月に連立政権が崩壊するまでは、地球温暖化対策を重視する緑の党が強く、自国で普及するいっぽうの中国製EVを締め出すことが出来ていない。
経済の弱体化にしびれをきらした若者がドイツから年間2~3万人も飛び出しているほどの惨状なのである。
(団勇人・ジャーナリスト)