「君たち、この女性と順番にデートしないか?」
ひときわダンディーな大臣官房のエリート首席事務官からこう言われてすぐ「ハイ」などと応じるチャラ男は流石にいなかった。
入省後、間もない頃。有力者令嬢で、外務省でアルバイトをしていた女性を紹介されたのだ。美白の瓜実顔、すらりと伸びた健康的な容姿が印象的だった。
飛ぶ鳥を落とす勢いだったこの首席から私の同期に対し、「いきのよい奴を5人集めろ」と指示がおり、私も宴席に加えられた。
デートと言われても、忠義心だけが取り柄と心得ていた初心な私は、当時付き合っていた女性の顔が浮かび身を引いた。そののち警察官やインテリジェンス・オフィサーとして役立つことになる観察眼が、潤んだ瞳で首席事務官を見上げる女性のまなざしを見逃さなかったことも大きかった(笑)。
だが、後で知ったのは、なんと5人中2人が実際にデートしたこと!座標軸のない奴らだった。その後の展開は寡聞にして知らない。
でも、こういう例は周りに溢れていた。
知り合いに頼まれ、「街で見かけたJJボーイ」なる女性雑誌の特集に写真入りで出たことがある。よりによって桜田通り沿いの外務省正門前でポーズをとらされた気恥ずかしい写真が出回った。
そんな私に近づいてきた撫子たち。今思い返せば、もっと丁重にお付き合いすべきだったろう。でも、その多くが外交官の仕事についてイノセントで美しい誤解を抱いていた。
「パーティーが多いんでしょ?」「アメリカなんかより、パリやロンドンの方が素敵ね」「やはりイブニングドレスは何着も必要よね。でも肩を出す自信ないし、どうしよう」
実態が全く違うとは言わないが、それは一面に過ぎず、それだけではない。人目につかない地味な作業、「アヒルの水かき」こそ、外交官の仕事の真骨頂だ。そして、それを夫婦で力を合わせてやる。そうすると、開かなかった扉が開くのだ。
駐豪大使時代、キャンベラの大使公邸に夜な夜な人を招いては接待した。夫婦同伴が原則だ。渋谷セルリアン東急ホテルから派遣してもらった小形禎之料理人が腕を振るったディッシュが並ぶ。だが、流石に毎日となると、胃腸が追い付かない。会食続きの日々に漢方薬は必須だった。そして、まず朝食、さらには昼食まで抜いて夕食に備えることが常態となった。
外交官夫人には、そういう付き合いに応じられる心と体の準備がまず必要だ。また、黙ってうつむいて食事をしているだけではだめだ。大縄跳びを飛ぶように、会話に入っていかなければならない。着物、日本文化、和食、観光地、歴史など最低限のことを説明できる力も必須だ。できれば慰安婦問題など、女性の観点から説明してほしいものだ。
「それは面白そうね」という女性にこそ、伴侶になって欲しいと思う。そして相手が大使になった時には、親の介護があろうが子供の教育があろうが、絶対に単身赴任をさせてはならない。なぜなら、大使夫人の不在は、開くべきドアが開かないことになり、日本の国益を損なうからだ。
●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、00年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年オーストラリア日本国特命全権大使に就任。23年末に退官。TMI総合法律事務所特別顧問や笹川平和財団上席フェロー、外交評論活動で活躍中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)がある。