5月14日、シャープが大型液晶パネル事業から撤退する方針を発表した。「液晶のシャープ」、「世界の亀山」として一時代を築いた歴史が幕を閉じることになったわけだが、実際に意味するところは、大阪・堺市の「堺ディスプレイ」(SDP)工場の停止で、9月までに生産を中止するという。
この工場跡地は、シャープとKDDIの合弁による米エヌビディアの最新AI向けのデータセンターとして活用されるという。もともとこの地は重化学工業のコンビナートがあった場所で、日本の産業構造が変わる中、跡地利用を巡って模索され、シャープ工場が建つ前から変転に次ぐ変転を経るという歴史があった。
「最初は昭和30年代に、八幡製鐵(現・日本製鉄)の製鉄所のために埋め立てられた場所でした。ところが日本製鉄が規模を縮小、代わりとして最初にユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)の誘致話がありましたが、これが破断。USJは大阪市此花区で2001年に開業することになります。すると01年にはカジノの誘致話が持ち上がりますが、これも頓挫。そしてようやくシャープ工場に落ち着き、09年から稼働を始めました」(在阪記者)
日本でのカジノ構想は、1999年に東京都の石原慎太郎都知事(当時)が「お台場カジノ案」をブチ上げたことに端を発するとされる。その後、不景気を脱する起爆剤として観光立国を目指す中、コロナ禍での中断を経て、ようやく23年4月に大阪・夢洲の大阪・関西万博跡地が設置第1号として決定する。そう考えると、堺市のカジノ構想はかなり時期の早いものだったことが分かる。
ところでその大阪でカジノ誘致が目指されたのも、石原慎太郎氏と仲がよかった元大阪市長で弁護士の橋下徹氏のもと維新の会が政治を握ったからだが、堺市は維新政治とも因縁が深い。
「シャープ工場を誘致したのは、2006年に『堺市40年以来の悲願』とされた、政令指定都市への移行を実現させた木原敬介市長時代の時。そしてシャープ工場が稼働開始したのは09年10月ですが、この直前の9月に行われた堺市長選挙では、当時大阪府知事だった橋下さんが府の政策企画部長だった竹山修身さんを刺客として送り込み、3選目を目指していた木原さん(自公推薦・民主・社民支援)を
そして結局は、堺市から大阪湾を挟んだ向かいの此花区の突端にUSJが、左向かいの人工島・夢洲にカジノ予定地が決定するという皮肉な命運を辿るのだが、“日本最初”の座を他に奪われたのはカジノだけではない。09年の市長選で竹山氏が勝利したことで、木原氏が推進していた日本最初のLRT(ライトレール=高性能路面電車)計画も頓挫。昨年8月に栃木県宇都宮市でLRTが開業し、こちらが日本最初となった。
それにしても夢洲では現在、万博でさえ予定通り開催できるか否かでシリに火が点いた状態で、さらに先のカジノを含む統合型リゾート施設も順調にオープンまで漕ぎつけられるのか。その頃、今回発表されたデータセンターが順調に稼働しているかどうかで、この土地の活用方法の是非がようやく判明することになるだろう。
(猫間滋)