水沢アキが高級マンション「転売の秘訣」を初公開「都心の物件を十数軒渡り歩いた」

 芸能界屈指の高級マンション好きで知られる水沢アキ(68)。修羅場もくぐり抜けたマンション遍歴を、今住む高級タワマン高層階の絶景ラウンジで聞いた。

─現在でいくつ目の物件になりますか?

水沢 23歳の時の南麻布に始まり、元麻布を購入して賃貸に出して、憧れていた「広尾タワーズ」に賃貸で住み、そこからハワイやロスの物件含め十数軒目です。常に住居用と、不安定な芸能界収入を補うための家賃収入用の賃貸物件も並行して所有しています。今はスマホひとつで家賃相場や売却時の価格設定を査定できるから便利ですよね。でもね、今まで本当にいろいろありましたからね。

─修羅場もあった?

水沢 まず、自分の人生の中でもとんでもない困難に陥ったのが、バブルが弾けた時。本当に大変でした。当時3物件を所有していて、合計6億5000万円分のローンが残っていたところ、バブルが弾けて資産価値が3〜4分の1になったんです。

─どうやって6億返済したんですか?

水沢 6億5000万です。ちなみに利息は2億ですよ。

─5000万を端数にしてすみません(笑)。

水沢 中小企業の社長が相次いで自死する中、死ぬ気で働いたんです。育児もあり、多忙で睡眠時間は3時間、食事は1日1食。3つの物件は賃料を下げて、私の芸能界の収入と合わせて、11年かけて完済しました。

─その時のお住まいは?

水沢 子供をインターナショナルスクールに通わせていて、大使館のご子息なども多く、お誕生日会で自宅に呼ばなきゃいけないから、グレードを落とすわけにはいかなくて。けっこうすごいところに住んでいました。だから食費を節約するために、子供2人でスーパーの試食コーナーを回らせ、ウインナーや牛乳でお腹いっぱいにさせていたこともありました。

─壮絶な話なのに語り口に悲壮感がないところがすごい!

水沢 なんだかんだ楽しんで生活していたし、結局は自分の力でなんとかなると思っていましたからね。あと、私って手放すタイミングがいつもズレてしまうんです。緑に囲まれた素晴らしい物件から引っ越しを決めたのが、2011年3月の東日本大震災前。震災後、誰もマンションなんて買う気分じゃなかったでしょう。1年間空き家で、泣く泣く家賃を下げて貸すことにしました。

─運が悪かったですね。

水沢 そのあと、通常なら売り出したそばから埋まる超人気物件から引っ越した時も、バカしちゃって。私は袋や裏が白い紙など、もったいなくてモノが捨てられない性格。片づけが大変で、作業に8カ月かかり、引っ越しとコロナ禍が重なってしまったんです。超人気物件なのに内覧ゼロ。また仕方なく値段を下げて、ようやく私が買った値段で売れました。

─通常ならいくらで売れたんでしょう。

水沢 今は2億を超えていますね。悔しかった! 窓から見える桜がとてもキレイでね、引っ越し前、20歳から65歳までの集大成的写真集「AKI MIZUSAWA 1975-2020」(小学館)に収録するため、篠山紀信さんに桜をバックに自宅でヌードを撮ってもらい、いい思い出ができたことが支えです。

─次に狙っている物件は?

水沢 最後の住処として目標にしているのが、高級老人ホームです。ひとつは都内タワー型高級老人ホームで、他県のオーシャンビューホームもまた魅力的なんですよね。そこにたどりつくために、今も頑張って働いています。私にとってマンションは心の拠りどころ。死ぬまで憧れでときめいていたいんです。

マネー