香川照之に聞かせたい「中村勘三郎伝説」(2)「彼を好きになったから別れてくれ」

 さらに先日、再三にわたる女性問題の末、中村芝翫(57)と三田寛子(56)の別居が明らかになった件についても、梨園関係者は「勘三郎さんがいたら別居はなかったかも」と前置きして、こう続ける。

「勘三郎さんは、女性問題を躱すのがとにかくうまかった。時には芸能記者と酒席を共にし、若手相手でも歌舞伎についてひとしきり語るもんだから、誰もが籠絡されてしまう。歌舞伎担当の芸能記者は、みんな彼のファンになってペンも鈍る。つまり、女性スキャンダルについても寛容になってしまうんです」

〝女遊びは芸の肥やし〟を地で行く勘三郎の女性スキャンダルは、中村芝翫の比ではなかった。女性誌のベテラン記者が証言する。

「古くは16歳の時、映画『幻の殺意』(71年、東宝)の撮影で出会った1つ年上の吉沢京子(68)から始まります。吉沢にはプロポーズめいた言葉も贈っていたけど、ある日、彼女が中村宅に行くと、勘三郎より12歳年上で大先輩の太地喜和子(享年48)がいた。そして吉沢に『彼を好きになったから別れてくれ』と頭を下げたそうです」

 これがきっかけで2人は破局したのだが、吉沢は14年に発売された「週刊現代」で〈彼のことを一生、忘れることはありません〉と、当時を振り返っている。

 無情にもフッた女性にそうも言わせるのだから、いかに魅力的だったかがうかがい知れよう。

「とはいえ、勘三郎も翻弄されまくった。太地の男性関係に嫉妬し、居酒屋で口論の末に酔った勢いで突き飛ばし、太地がテーブルに頭をぶつけて大出血したことも」(女性誌記者)

 それでも当時は、太地のほうが悪女呼ばわりされるなど、勘三郎は無傷だった。

 しかし94年、勘三郎と不貞関係にあり、同宿に泊まっていたとされる宮沢りえ(49)の「自死未遂騒動」が発覚。この時ばかりは非難の的となる。

「緊急会見で『私が原因で宮沢くんが手首を切った、という台詞を期待しているんだろうが、そんなにおもしろいか?』『不貞なんかしてないよ』と怒りを露わにまくしたてました。しかし後日『あれは事故だった』という話になった。もともと真摯で人間味のあるマスコミ対応が功を奏したのでしょう。さらにこの騒動以降は、勘三郎に大手芸能プロ幹部の後ろ盾がつき、女性問題が深刻化しなくなったと言われています」(芸能レポーター)

*香川照之に聞かせたい「中村勘三郎伝説」(3)に続く

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