その後も数々の女性をメロメロにしていく勘三郎は、06年3月に米倉涼子(47)との密会現場に妻の好江さんが乗り込んだことが報じられる。が、報道陣の前で「俺の大好きな後輩(海老蔵)とつきあって嫁さんになろうとしていた人だよ。俺がつきあうわけがない。奥さんだって知ってます」とリップサービスを含めて言い訳し、騒動を鎮火させたものだった。
「椎名林檎(43)の時は周囲の人に『俺はこの子が大好きなんだ』と話し、石川さゆり(64)には『俺たちもっと早く出会っていればよかったね』と、キザな台詞を大マジメに吐いたり。とにかく女性にモテまくりでした。その証拠に告別式には祇園の芸者から銀座のクラブのママやホステス、かつて恋仲が報じられた大竹しのぶ(65)や牧瀬里穂(50)、宮沢りえ、椎名林檎など、約1万2000人が参列しました」(芸能レポーター)
中村家に詳しい歌舞伎ライターが当時を振り返る。
「勘三郎さんは明るくて社交的で、男女問わず周囲に人が絶えませんでした。明石家さんま(67)や桑田佳祐(66)、千代の富士(享年61)に松本潤(39)など幅広い友人関係を持ち、梨園を本気で明るく照らそうとしていた。長男・勘九郎(40)には、明るい性格の子供ができるように『ブラジル人と結婚しろ』とまで言っていたぐらい(笑)」
ただ、勘三郎襲名を目前に控えた次男・七之助(39)が05年1月に起こした「警察官暴行事件」の時は「唯一の危機だった」という。
「泥酔した七之助が警察官に暴行を加え、会見では勘三郎さんが代わりに頭を下げ誠意を見せた。七之助には『酒を飲んでやるもんじゃない。喧嘩は舞台の上でしろ』と言い含めたそうです。陽気に飲むことが勘三郎さんの美徳でしたから」(歌舞伎ライター)
別の梨園関係者も酒席での勘三郎をこう評する。
「とにかく酒の場では人を不快にさせないのがモットーでした。サービス精神が旺盛で、香川のようなトラブルなんて考えられませんよ。会見での口上も天下一品でしたし、関係者の間でつい〝勘三郎待望論〟が出るのも無理はありません」
歌舞伎界で再出発を図るしかなくなった香川は、生前の勘三郎の生き様から学ばなかったことが悔やまれるばかりだ。
*「週刊アサヒ芸能」9月22日号掲載