新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【17】ファンクスと凶悪コンビの遺恨劇

 1977年、新日本プロレスはアントニオ猪木と全米プロ空手世界ヘビー級王者ザ・モンスターマン、モハメド・アリからダウンを奪ったことで話題になったプロボクサー、チャック・ウェップナーとの「格闘技世界一決定戦」によってプロレスの枠を超えた戦略を打ち出した。

 それは前年6月26日の猪木vsアリ戦で負った9億円の借金をテレビ朝日の特番「水曜スペシャル」で放映することによって返済するという目的が大きかったが、この猪木の異種格闘技路線は、のちの日本の格闘技ブームの種子になった。

 だが、その一方でライバルの全日本プロレスを挑発することも忘れていなかった。前年の他団体にも呼びかけての「アジア・リーグ戦」開催は、馬場がすぐさまNWAに働きかけて休眠状態のアジア・ヘビー級、アジア・タッグの王座を復活させることで、新日本のお手盛り大会になってしまったが、年末には新たなアクションを起こした。

 12月8日の横浜文化体育館でラリー・ヘニング&パット・パターソンの挑戦を退けてストロング小林とのNWA北米タッグ王座を防衛した坂口が、某スポーツ新聞の記者の「そろそろ国内のタッグ統一を考える時期に来ているのでは?」という質問に「そうなんですよ。今、日本にはいろいろなタッグ・チャンピオンがいますが、今こそ統一を真剣に考える時期だと思いますね。いろいろな問題があって、シングル統一戦は難しいですが、タッグならできるんじゃないかと思う」と答えたのだ。

 当時、特にタッグ統一の機運が盛り上がっていたわけではなく、この質問は新日本の意向を受けてのものだったのではないか。

 この翌日の9日、日大講堂においてジャンボ鶴田との師弟コンビで大木金太郎&キム・ドク(タイガー戸口)からインターナショナル・タッグ王座を奪回した馬場は「基本的には私も賛成だが、まず、そういう試合を公平に管理し、運営する委員会のような機関を作ってからの話。全日本としては、そういう方向に歩み寄りと努力を重ねることを提言したい」と、とりあえずは賛成の姿勢を示しながらも、現実問題としては難しいという見解を述べた。

 77年に入ると、新日本は全日本と国際プロレスに文書で統一タッグ戦の申し入れを行ったが、両団体ともに公式に回答することはなく、話は自然消滅。これまでと同様に「対決を迫る猪木」「腰を上げない馬場」の図式になってしまった。

 しかし、みんなが統一タッグ問題を忘れかけていた秋になって、馬場は答えを出した。それが「世界オープン・タッグ選手権大会」の開催だ。その2年前の75年暮れに猪木が盛んに対戦を迫る中、馬場は「全日本プロレス・オープン選手権大会」の開催を発表して猪木に参加を呼びかけたが、それと同じ手法である。

 9月23日に大会開催を発表した馬場は「最近、世情に一段と関心が高まりつつあります統一タッグ選手権開催の機運にも鑑み、今大会の趣旨と致したい考えです」と語った。

 新日本はこの呼びかけを黙殺したが、国際からはラッシャー木村&グレート草津の最強コンビが参加、さらには全日本の高千穂明久(のちのザ・グレート・カブキ)と国際のマイティ井上の超党派テクニシャン・コンビの参加も決定した。

 その他、インター・タッグ王者の大木&ドク、馬場&鶴田、ドリー&テリーのザ・ファンクス、アブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シークの地上最凶悪コンビ、ビル・ロビンソン&ホースト・ホフマンのヨーロッパ最強コンビ、ザ・デストロイヤー&テキサス・レッドのマスクマン・コンビ、この年の6月にアメリカ修行から凱旋帰国した天龍源一郎&ロッキー羽田のハンサム・フレッシュ・コンビという豪華チームが揃った。

 日本プロレス界には「暮れの興行とタッグ・シリーズは当たらない」というジンクスがあった。実際に日本プロレスが70〜72年に開催した「NWAタッグ・リーグ戦」は不評だったが、このオープン・タッグは12月2日の後楽園ホールにおける開幕戦でテリー・ファンクとブッチャー&シークに遺恨が勃発したことでいきなり盛り上がった。

 そして12月15日、最終戦の蔵前国技館におけるファンクスvsブッチャー&シークで、今も語り継がれている衝撃シーンが生まれた。ブッチャーがフォークでテリーの右腕をメッタ刺しにしたのである。

 戦闘不能になったテリーだが、ブッチャー&シークに2人掛かりで蹂躙される兄ドリーを救出するため右腕にバンテージを巻いてカムバックした姿にファンは熱狂。反則勝ちでファンクス優勝という結末だったが、その兄弟愛は少年少女ファンの心を打ち、テリーは一夜にしてスーパーアイドルになった。

 そして、このオープン・タッグの成功によって翌年から「世界最強タッグ決定リーグ戦」がスタート。今では日本プロレス界の暮れの風物詩になっている。

小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。

スポーツ