【大型連載】安倍晋三「悲劇の銃弾」の真相〈第5回〉(2)命も捨てられる安倍親衛隊

 広報官には、第一次安倍内閣でも安倍を支えた長谷川榮一を据えた。

 事務担当の内閣官房副長官には、杉田和博。内閣官房内閣情報調査室長、内閣情報官、内閣危機管理監などを歴任している。

 参与も、小泉純一郎を支え続けた飯島勲を筆頭に、成長戦略担当の堺屋太一、防災・減災ニューディール政策担当の藤井聡、国際金融担当の本田悦朗、浜田宏一、国民生活の安心安全担当の宗像紀夫、東日本大震災の被災地の復興・再生担当の岡本全勝、スポーツ健康担当の平田竹男、国際広報担当の谷口智彦、ユネスコの文化関係施策担当の木曽功、国家公務員制度・健康医療戦略担当の大谷泰夫、産業遺産の世界遺産登録推進と産業観光促進担当の加藤康子と硬軟揃っている。

 ことに、本田、浜田は、安倍総理が得意ではない金融政策を促進するのになくてはならない存在である。

 このように第二次安倍政権を支えるスタッフたちは、政務秘書官の今井尚哉をはじめ第一次政権に関わったものたちで固められていた。彼らには、共通した思いがあった。

〈あの時の失敗を、取り戻すんだ〉

 官房副長官を務めた萩生田光一には、その姿は、まるで赤穂浪士のように思えることもある。

〈彼らは、いつの日かと思い、それぞれの役所で静かにこの日を待っていたのではないだろうか〉

 そんな思いを持った連中が多くいるため、チームワークは見事なものとなっている。互いを知っているため、けん制することもなければ、むしろ互いをリスペクトする気さえ持っている。

 元財務省の官僚である丹呉泰健は、総理秘書官として小泉純一郎総理に仕え、第二次安倍内閣でも内閣官房参与を務めた。

 丹呉が思うに、安倍総理にとって大きなポイントは、二度目の総理大臣就任直後、日銀の金融政策の変更及び体制改革に踏み切ったことだった。日本経済再生にはデフレから脱却することだと考えた安倍総理は、その目標を消費者物価上昇率2%とし、達成するまでは日銀は無制限の金融緩和をするべきだとした。量的緩和には積極的ではない当時の総裁である白川方明との対立も辞さず、ついには白川を辞任にまで追いこんだ。その後任に、量的緩和論者である黒田東彦を据えた。

 このことは、ただ日銀体制の改革を断行したというだけに留まらず、安倍総理自身が、改革を断行するリーダーとしての闘う姿勢を世間に見せつけることになったという。

 丹呉には、小泉純一郎を初当選の時から支え続け、安倍内閣でもまさに内閣官房参与として〝懐刀〟的な存在である飯島勲が冗談まじりに語った言葉が印象深い。

「小泉純一郎には、心から、〝小泉と命をともにしてもいい〟と思っていた政治家はいたかなぁ」

 その言葉こそ、同じ長期政権を樹立した小泉総理と安倍総理の大きな違いである。そして、安倍晋三というカリスマ性なきカリスマの最大の強さを語っている。

 安倍総理の周りには、さらに親衛隊がいる。高市早苗、稲田朋美、衛藤晟一、萩生田光一といった議員である。この議員たちの多くは、安倍総理が会長を務める保守の創生日本に所属する。彼らは、口を揃えて言う。

「安倍総理のためだったら、命を捨ててもいい」

 さらに、安倍総理の出身母体である清和政策研究会も、安倍総理を支える。

 政界だけではない。政界の外にも、安倍を支援する強力な応援団がいる。評論家の櫻井よしこらである。

作家・大下英治

〈文中敬称略/連載(3)に続く〉

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