メジャーになった地下芸人は元プロレス関係者!鉄拳もリング出身の過去

 小さな劇場で、数人・数十人の観客を前に、放送禁止用語も気にせずに暴走ネタを続ける芸人たちがいる。総称・地下芸人だ。地上に出られることなく、もぐらのように地下で活動し続けることが多いが、しかしそんな中、革命児が現れた。チャンス大城だ。

 同期は千原兄弟やFUJIWARA、バッファロー吾郎らだが、チャンス大城は25年以上も地下に潜っていた。ところが、千原のトークライブで話した実話がどれも秀逸だったため、「人志松本のすべらない話」(フジテレビ系)や「水曜日のダウンタウン」(TBS系)ほか、大人気バラエティ番組に数多く出演。地下から地上に出ることに成功した。

 20代からアラフィフの最近までは、バイト三昧だった。そのうちのひとつに、ライブ劇場のドリンクコーナーがあった。それはプロレス好きが高じたものだったという。

「チャンスは昔から大のプロレスファン。趣味と実益を兼ねて、都内の新宿歌舞伎町のド真ん中にある新宿FACEで、ドリンクコーナーに立ち、アルコールなどを提供していました。この劇場は男子・女子のプロレスが定期的に数多く開催。タダで観戦する近道として選んだようです」(週刊誌記者)

 推しているのは、センダイガールズプロレスリングのDASH・チサコ。キャリア16年。同団体を背負うアラサーの女子プロレスラーだ。

 一方で、プロレス好きが高じて団体入りした芸人もいる。鉄拳だ。顔面ペイントのピン芸人だが、肩書きはお笑いアーティスト。「こんな〇〇は嫌だ」のフリップ芸で世に出るチャンスをつかんだ。12年に、男女の出会いから結婚、天に召されるまでの半生を描いたパラパラアニメ「振り子」を発表すると、海を超えてメガヒット。泣けるアニメーションを描ける画家として、今なお国内外からオファーが届く。

「10代から漫画を書き、青年誌で受賞経験があるほどの腕前です。ところが、プロの道を断念。高校卒業後は、大仁田厚が興したプロレス団体の『FMW』に選手としてオーディションを受けるも、不合格。レフェリーとして採用され、6ヵ月ほど働いていました」(前出・週刊誌記者)

 入社の際に審査員を務めたのは、27歳だったターザン後藤。5月下旬に58歳の若さで急逝していたことがわかった後藤が、鉄拳のプロレス業界入りのきっかけであり、青春の1ページに寄り添ってくれた恩師だ。

 プロレス好きを仕事につなげた特殊系芸人。貧乏時代の良き思い出だろう。

(北村ともこ)

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