石原伸晃「親父はひと言で言うと『文士』!」/テリー伊藤対談【1】

 昨年10月の総選挙で敗れた石原伸晃氏。今年に入ってからは父・石原慎太郎氏に続き、母・典子氏を亡くしたこともニュースに。この悲報には慎太郎氏と親交のあった天才テリーも意気消沈。父親との思い出、現在の心境や今後について、全てを打ち明けてくれた。

テリー 今、石原さんのYouTubeチャンネルを見てたんですよ。元気がいいですね。

石原 そう? それはカラ元気だね(笑)。

テリー 大変だったからね。

石原 いや、もうほんとに。立て続けにいろんなことが起こって。

テリー 人生で一番大変なことがいくつも重なっちゃった。実は僕、慎太郎さんに最後にお会いしたのは、1年半ぐらい前で、その時も「ちょっと体調が悪い」って言ってたんですよ。

石原 本人は死ぬなんて、今年の1月まで認識できてなかったと思いますね。

テリー 最後、何か話せたんですか。

石原 亡くなったのは火曜日(2022年2月1日)だったんですけど、私はちょっと仕事で、日曜から淡路島の神社に行ってたんです。そこの宮司さんに淡路島の歴史を聞くために。

テリー じゃあ、一報は電話か何かで。

石原 その神社に車で向かってる時に、弟から「親父がおかしい」とメールが入って。それで「えっ?」って言って、しばらくしたら「亡くなった」と電話がかかってきて。宮司さんに会わずにUターンして、飛行機で帰ってきました。

テリー 最後は安らかだったんですか。

石原 それはもうほんとに。死に顔を見て、いい顔だったので安心しました。

テリー それは良かった。どういうお父さんだったんですか。

石原 ひと言で言うと、子供に対する愛情はすごくあるけれど、接し方が不器用。私らを連れて外食してる時も「あれ、どこ行っちゃったんだ?」と思ったら「もう帰っちゃいました」とか。そういう不器用なところは多かったような気がします。

テリー もちろん政治家だけども、文学者のほうに強い思いがあるなって、僕は思ってました。

石原 私ね、親父が死んでから昭和30年代のものを全部読み直したんですよ。それで初めて父親を非常に理解できたような気がしてるんです。

テリー どんなふうに?

石原 ひと言でいうと、文士なんだね。昭和20年代、30年代の文士って何をやっても良かった。太宰治なんか有名ですけど、自死未遂がテーマになってたり。

テリー 自分の生き様を書くというかね。

石原 三島由紀夫さんとも親父は何年かごとに対談してるんですけど、読むと2人がすごく理解し合ってるんですね。やっぱり2人とも文士なんですよ。それで、親父が、なんで政治家になったのかが、何となく初めてわかって。文士として、政治をどう動かせるのかを書こうと思ったんじゃないかと思いますね。

テリー ものの捉え方がすごく客観的だったから。

石原 ある意味、当事者じゃないところがあるんですよね。私も三十数年前に政治家になって、そういう考え方で政治はやっちゃいけないっていうのがあったわけですよね。もちろん、親父にも政治家としてのビジョンはあったけども、やっぱり根底は文士だったんだなと。文士って、もう死語ですけどね(笑)。

*テリー伊藤対談【2】につづく

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