吉本興業の大阪NSC22期生は豊作だ。08年のM-1王者であるNON STYLE、13年の「THE MANZAI」で優勝したウーマンラッシュアワーの村本大輔、キングコング、南海キャンディーズの山里亮太ほか成功者が多い。そんななか、「R-1ぐらんぷり2009」王者のピン芸人・中山功太は異質だ。栄冠を手に入れたにもかかわらず、王者気分を味わうことなくどん底に堕ちたからだ。
「R-1」には初年度からエントリー。04年に決勝戦へ初進出して、08年に最高のフリップネタが完成、09年に悲願の初優勝となった。しかし、その裏では血のにじむような努力を重ねており、当時彼女と同棲していたが、家に帰らず、吉本の大阪本社の会議室に泊まりこんでネタ作り。07年末から09年までその生活を続け、4000本から5000本のネタを生んだ。ずば抜けた集中力があったが、首の4本目の骨が削れて頸椎症になり、今なお右腕に痺れが残るという。
「優勝したはいいが身体が悲鳴を上げてしまい、ついに起き上がることさえできなくなりました。マネージャーに病名を明かさず、遅刻が増え、信頼をなくしてしまいます。大阪のレギュラー番組と出演舞台が終わったタイミングの翌10年3月にようやく東京進出しましたが、旬は過ぎていた。仕事はなく、R-1優勝の6年後には借金が500万円に膨れ上がり。ピーク時には600万円もあった月収が、まさかの22円になりました」(週刊誌記者)
幼少期は、大のおぼっちゃま。実父はソファ関連の会社社長で、関西ではテレビCMを打つほどの有名企業だった。高級住宅地にあった実家は、驚異の27LDKK。功太少年は近所の有名人で、欲しいものは何でも買ってもらえた。裕福すぎて、誘拐未遂に遭っている。
それだけに、芸人になってからの落差は激しかった。
「“22円の王者”は、12年に『コウタ・シャイニング』に改名。それも話題にならず、新宿歌舞伎町のホストクラブでアルバイト。それでも貧乏生活から脱出できず、『歌ネタ王決定戦2015』で優勝しても、関西ローカルのコンテストがゆえに、事態は好転しませんでした。17年には、DVやストーカーまがいのメッセージを送ったことで夜の蝶として働く女性から提訴されています」(前出・週刊誌記者記者)
芸歴20年。アップダウンが激しすぎる不世出のチャンピオン。今年のR-1王者のゆりやんレトリィバァのように、テレビタレントとして花を咲かせる日を自分の手でつかんでほしい。
(北村ともこ)