「近代日本資本主義の父」として知られる渋沢栄一を主人公にしたNHK大河ドラマ「青天を衝け」が2月14日にスタートし、初回の平均視聴率が20%の大台を突破した。
渋沢役には若手人気俳優の吉沢亮を起用。今後はその波乱に満ちた生涯が描かれることになるが、第1回の放送では、徳川慶喜に扮する草なぎ剛が久々に地上波で登場。SNS上には《草なぎだよ……号泣》《草なぎが登場した瞬間から涙が止まりません。本当に感謝しかないです》といった声が溢れた。
とはいえ、今回草なぎが演じる十五代将軍・徳川慶喜は、歴史上の偉人の中でも、その評価が真っ二つに分かれる曲者中の曲者。歴史研究家が語る。
「徳川幕府最後の将軍である慶喜は、烈公とあだ名された荒ぶる父・徳川斉昭の教育方針により、江戸で生まれるもほどなくして国許の水戸に移されました。幼い頃から頭脳明晰で、父から武術や学問を厳しく教え込まれ、特に手裏剣の腕前は達人レベルだったそうです」
そんな慶喜が十四代将軍、家茂の死後、十五代将軍となったのは29歳の時だったが、
「慶喜は将軍になることを固辞していて、父に送った手紙には《将軍になって失敗するより、最初から将軍にならないほうがずっとましだ》とあり、あるいは幕府崩壊の未来がすでに見えていたのでは、とも言われています」(前出・歴史研究家)
そして、薩摩・長州藩による倒幕を予期した慶喜は「大政奉還」、つまり、朝廷に政権を返上することを決意。1867年(慶応3年)10月14日、明治天皇に政権が返上され、ここに徳川幕府は幕を下ろすことになった。
ところが、「朝敵」となった旧幕府軍と新政府軍による鳥羽・伏見の戦いでは、旧幕府軍の総大将として大坂城に篭るも、夜陰に紛れてわずかな側近や老中たちと軍艦に乗り込み江戸へ逃げ帰ってしまう。この行動が卑怯、惰弱として味方からも猛バッシングを受け、「家康の再来」という評価を下げる一因になってしまうのだ。
「敵前逃亡の理由は、慶喜の生家である水戸徳川家に『どんな状況になっても朝廷に弓を引くことならず』という家訓があったこと。さらに彼の頭には徹底抗戦したところで勝機はなく、いたずらに内戦が長引けば諸外国から介入のチャンスを与えることになる、という予想図があったとも言われます。ただ、前線で命をかけて戦う部下たちを置いてきぼりにしたのは事実。そのあたりが評価を二分する理由なんです」(前出・歴史研究家)
江戸へ戻った慶喜は朝廷への恭順姿勢を示し、後始末を勝海舟に一任。江戸城が無血開城されると、駿府(現在の静岡県)に移住、地元の人々から「ケイキさま」と呼ばれ、親しまれながら30年の余生を過ごした。
「隠居後は、それまでのことが何もなかったかのように、油絵や弓道、刺繍、狩猟などの趣味に没頭する毎日。中でも熱中したのがカメラで、写真雑誌に何度か投稿したものの、センスがなかったのか、採用されることはあまりなかったようです」(歴史ライター)
また、狩猟で得た獲物を自らが調理し、知人らに振舞うこともあったとされるが、
「慶喜が一橋家の当主だった頃は、獣肉を食べることは禁忌とされていたため、大奥では口にすることはなかったようですが、豚肉を好んで食べたことが庶民の間に広まり『豚一様』と呼ばれ、大奥の女中たちからは嫌われていたようですからね、歴史の教科書では教えてくれない、この稀代の変わり者を大河で、草なぎがどう演じるかが見ものですね」(前出・歴史ライター)
徳川慶喜を演じる草なぎは、NHKの情報番組に出演した際、ジャニーズの先輩にあたる本木雅弘主演のNHK大河ドラマ「徳川慶喜」(1998年)について話を振られると「見なかったんですよね(笑)」とバッサリ。あえてモックンの演技を見ないことで、自分なりの“慶喜像”を作り上げていく覚悟かもしれない。
(灯倫太郎)