前駐豪大使・山上信吾が日本外交の舞台裏を抉る!~岸田外交の功罪と次期総理への期待~
先日、某評論家が「岸田外交は米国で評価されているのに、日本で評価されていないのは残念。岸田さんはよくやっている」と評していた。 いかにも外務省出身者らしいコメントだ。米国にだけ評価されていれば済...
先日、某評論家が「岸田外交は米国で評価されているのに、日本で評価されていないのは残念。岸田さんはよくやっている」と評していた。 いかにも外務省出身者らしいコメントだ。米国にだけ評価されていれば済...
「なぜ外務省の役人は国会答弁があんなに下手なのか?」近年夙に外務委員会委員長などの国会関係者から指摘を受ける点である。 先日も某国会議員の勉強会で日本外交の現状と課題について講演をした際、同じ指摘...
「1対1の闘いに弱い」 長らく日本サッカーについて言われてきた問題だ。しかし、侍たちは進化した。久保建英は巧みにフェイントをかけて相手を見事に抜くし、三笘薫の高速ドリブルはプレミアリーグでもなかな...
またしても見てしまった。日本の政治家の醜態だ。 北京で中国要人と写真を撮っては悦に入っている二階俊博元自民党幹事長、岡田克也立憲民主党幹事長ら、日中友好議員連盟メンバーの与野党政治家の様子を見て...
残暑もようやく峠を越しつつあるのだろうか。信州の山里ではトンボが舞い始めた。 8月は日本人にとっては特別な月だ。1945年の8月が決して忘れられないからだ。そんな8月を振りかえってみて、気になっ...
六本木ヒルズのエレベーターに乗るたびに、時代と風俗の移り変わりを実感する。 大都会東京を代表するオフィス・ビルと喧伝されて開業したのが2003年。その後20年余りが経ったが、何層もの地下駐車場に...
また、暑い8月がやってきた。 書店の棚には戦争物、歴史物の本が所狭しと並ぶ季節だ。 蝉時雨の中、思いは広島、長崎の惨禍、そして大東亜戦争での未曽有の敗戦に及ぶ。昭和20年(1945年)の夏も...
緑豊かな多摩丘陵に抱擁されるように育った。1960年代後半のある日。都心からの転入組であった私は、開発の波が押し寄せながらも田畑や小川に囲まれていた平和で静謐な多摩市立第三小学校を震撼させる事件を起...
だいぶ前になるが、日本を代表する某大手メーカーの社長が駐英大使に擬せられたことがあったが、メディアのインタビューで否定した本人が二つの理由を挙げていたのが印象的だった。 1、大使になれば、年棒が大...
私は中学・高校と東京の国立市にある桐朋学園で伸び伸びと育った。三多摩屈指の進学校でもあるが、野球、サッカー、ラグビーなどもなかなか強く、「メンズクラブ(メンクラ)」や「ポパイ」から抜け出てきたような...