年末・年始を迎え、在外に赴任している大使の多くが休暇で帰国する時期となった。
そんな一人で、欧州の某国に赴任している同期入省の大使と夕食を共にした。東京にいては窺い知れない複雑な任国情勢につき開陳してくれた見識には唸るものがあった。同時に、休暇帰国中に任国で何か事件が起きないか不安だ、との胸の内を隠さなかった。そうした感覚が今の外務省にもまだ残っていることを知り、いささか安心した。
実は、外務省には独特の休暇帰国制度がある。在外に赴任した大使であっても任期が3年を超えると公費で航空賃を負担して一時帰国できる制度が典型だ。大方の大使は、2週間からひと月程度は帰国して骨休みをしている模様だ。このほか、途上国や戦争に見舞われた国の勤務であれば、より頻繁に健康管理のための休暇帰国も認められる。加えて、こうした在外勤務独特の休暇制度とは別に夏季休暇や年末年始を活用して、一時帰国する事例も少なくない。
こうした帰国が、在外勤務故に日本事情に疎い「浦島太郎」になってしまうことを防ぎ、本邦関係者と連絡を密にし、任国の事情をきちんと伝えておくといった観点から有意義なことは間違いない。また、緊張度やストレスの高い在外勤務から解放され、肉体的・精神的健康を保つためにも貴重だ。
だが、こうした制度に慣れて休暇を恰も権利のように捉える余り、危機管理意識が不十分になっていないだろうか?湾岸戦争勃発やアフガニスタン情勢急変などの際、現地の大使が不在との「間の悪さ」が国内の批判を招いてきたのは記憶に新しい。
こうした外務省のノー天気ぶりに対して最も厳しい批判を隠さないのは警察関係者だ。治安を守るために24時間、365日緊張を強いられているとの自己認識があるからだ。実際、私が警察庁に出向し、茨城県警の警務部長として水戸に赴任する前に受けた研修でも、事件事案が起きたらすぐに駆け付けられるよう、(1)ゴルフ、(2)海釣り、(3)山登りはご法度とされた。週末や休暇であろうが、任地の茨城県を離れることには大きな心理的抵抗が伴った。だからこそ、任期を終え、利根川を渡って千葉に入った途端、肩の荷が下りた思いに包まれたものだ。
むろん、外交と治安は異なる。だが、今の中国のように、在留邦人の命がいつ失われるかわからないような国にあっては、在留邦人の保護に当たる外交官の責務は重大だ。果たして、このあたりの意識は十分だろうか?
公平を期せば、こうした問題は日本の外交官に限られている訳ではない。キャンベラ在勤中、欧米諸国の大使の多くはクリスマスを挟んで1カ月前後も休暇でキャンベラを離れ、本国に帰国していた。米国のケネディー大使など、それ以外にもしばしば本国に帰ってキャンベラを留守にし、豪州人の落胆を呼んでいた。だから、私は休暇でも豪州にとどまるよう努めた。
日本の外務省の問題は、事務次官や官房長になるような幹部が大使はおろか総領事も未経験であるのが常態となっているため、在外で緊張感を保つことの重要性が組織全体で共有・徹底されていないことだろう。これこそ、紛れもない日本外交の劣化の一断面である。
●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、00年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年オーストラリア日本国特命全権大使に就任。23年末に退官。TMI総合法律事務所特別顧問や笹川平和財団上席フェロー、外交評論活動で活躍中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)、「歴史戦と外交戦」(ワニブックス)、「超辛口!『日中外交』」(Hanada新書)がある。