前駐豪大使・山上信吾が日本外交の舞台裏を抉る!~縮み志向の日本外交~

 豪州を再訪してきた。

 私が上席フェローを務める笹川平和財団がシドニー大学米国研究センターと組んで、日豪米政府の幹部ポストを務めた者を集め、台湾海峡情勢についての突っ込んだ意見交換を行うためだ。タイムリーで有意義な企画だった。

 その後、メルボルンの名門社交クラブに招かれて講演し、日豪の安全保障関係を如何に前進させるべきか、持論を述べてきた。食い入るように見つめ頷いてくれた聴衆の反応に手応えを感じてきた。

 外務省にあっては、在外公館勤務を終えた際には後任者が仕事をしやすいよう配慮し、前任地には当面足を運ばないとの風習がある。退官した私も後任大使に配慮し、2023年4月末にキャンベラ離任以来、豪州訪問を極力控えてきた。ところが、本年7月、11月と豪州シンクタンク、メディア関係者などから相次いで強く招請され、もはや拒むことができなくなってしまった。

 久しぶりに南半球の赤土の大地を踏んだ私を待っていたのは、聞きたくなかった声の数々だった。

「あなたがいなくなって寂しかった」はよくある社交辞令だから措くとしよう。だが、「日本大使館の対外発信がめっきり静かになってしまった」「存在感が感じられない」という声を、オーストラリア人だけでなく在留邦人からも次々に聞かされた。自分の積み上げてきたものが台無しにされたようで、辛かった。

 事情に詳しい者の説明によれば、「着任後1年間はメディアのインタビューを受けない」「一日のアポイントは最大2件に抑えよ」という指示がトップから下り、士気は下がり、やる気と能力のあった優秀な大使秘書、スピーチライターを筆頭に何人もの豪州人スタッフが幻滅して転職していった由。

 暗澹たる思いに捕われた。同時に、昨今の日本外交の状況に照らし、「さもありなん」との思いに包まれた。そもそも霞が関の外務本省にあっても、「主張すべきは主張する」という外交の基本が明らかに疎かにされつつあるからだ。

 対中外交が最たるものだ。岸田政権下の2022年8月、ペロシ米国下院議長の台湾訪問に猛反発した中国が日本の排他的経済水域に史上初めて弾道ミサイルを5発も撃ち込んできた。これに対し、当時外務次官の森健良は駐日中国大使を外務省に呼びつけることさえせず、こともあろうに電話だけで申し入れを済ませてしまった。思い返すと、これが分水嶺だった。この頃から日本外交は「縮み志向」が顕著になってきたのだ。何か事案が生じても「遺憾」を繰り返すのみ。「怒るべき時に怒らない」「言うべきことさえ言わない」外交が定着してきた。

 石破政権では、APECやG20といった大事な国際会議に総理大臣が出席しても、スマホをいじり書類をめくるのに忙しく、他国首脳への挨拶、働きかけにさえ取り組まない。極めつけは、集団写真にさえ写らない引き籠りぶりだ。

 岸田、石破総理に問いたい。日本は「自由で開かれたインド太平洋」という世界を牽引する概念を打ち出し、クアッドでも主導権を発揮して存在感を高めてきたのに、いまや沈滞している責任をどうとるのか?

 心ある外務省員に問いたい。こんな情けない外交をするために外務省の門を叩いたのか?

●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、00年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年オーストラリア日本国特命全権大使に就任。23年末に退官。TMI総合法律事務所特別顧問や笹川平和財団上席フェロー、外交評論活動で活躍中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)、「歴史戦と外交戦」(ワニブックス)がある。

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