前駐豪大使・山上信吾が日本外交の舞台裏を抉る!~外務省に蔓延る二世・三世に求めるケジメ~

 あれは血気盛んで青年将校と呼ばれた30代前半の頃だった。

 金曜日の夕方、日米経済交渉に向けた北米二課作成の対処方針案が条約課に持ち込まれた。「ああこれで、飲み会にはいけないな」とあきらめて決裁書に取り組んだ。前例を踏まえつつ縦横斜めと子細に精査、テニヲハまで赤字を入れた。気づいたら午前2時近く。「これなら小松一郎条約課長(後の内閣法制局長官・故人)をクリアできるだろう」と思って、いったん北米二課に決裁書を戻してチェックさせようと思ったら、明かりは消えもぬけの殻。

 携帯電話など無い時代だ。息巻いた私が担当官の自宅に電話したところ、「はい」と電話に出たのは、父親であった当時のO次官。冷や汗をかきながら「M子さんが帰宅されたら何時でもよいので電話をいただけますでしょうか」とのみ伝えた。

 こんな話は枚挙にいとまない。外務省には二世、三世がそこここにいるからだ。

 むろん、裨益するところは大だ。幼少期から海外生活や外国語に習熟し、外国人相手にひるまない。外交官としての素質に恵まれた者が多いのは確かだ。

 他方、社員の子弟は絶対に採用しないという方針の大企業や、親が人事に関わっている時は子弟の採用を控えるとの一線を引いてきた主要省庁などからは、外務省は「公私」の線引きが甘いのでは、との指摘を絶えず受けてきた。

 実際、組織の中に身を置いてみてくると、「李下に冠を正さず」とは程遠い実態が浮かび上がる。

「Aは、自分の息子が採用されなかったので人事当局を恨んでいる」

「B元次官は、後任次官に対し、自分の配偶者の昇進を働きかけた」

 などといった聞きたくもない話が満ち溢れている。「縁故は効くのだ」と周囲に思わせてしまう空気がある。今の次官の子息も、親と同じ役所で同じ分野を歩んでいる。

 ある国際裁判でのこと。日本政府を代表した口頭弁論の最終局面で、父親の功績に言及した二世外交官がいたことは、国際法専門家の間では知る人ぞ知る話だ。
「お父さん、私もやりました」とばかりに締めくくり、そして、訴訟に負けた。

 病巣の深さがわかる話ではないだろうか?明らかに世間一般の感覚とずれているのだ。

 外交が特殊な能力と訓練、環境への適応を必要とすることは確かだ。健全な自負と矜持を持つのも大いに結構。しかし、だからといって、その中にいる人間がギルド化する、特権階級面をするなど、僭越の極みだ。

 日本人の語学力、海外適応力の相対的低さにかんがみれば、二世、三世のポテンシャルを大いに活用することは国益にかなう。他方、親が本省にいるときは、子供には在外勤務をさせる、近親者が人事権を握っているときは、本人は栄転・昇進を受けないといった「けじめ」こそ、必要ではないか?

 自らの立身出世のために政治家に無節操に尻尾を振るような輩に限って、血縁者や身内を頼るのも世の常だ。これでは組織の規律は保てない。

●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、00年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年オーストラリア日本国特命全権大使に就任。23年末に退官。TMI総合法律事務所特別顧問や笹川平和財団上席フェロー、外交評論活動で活躍中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)がある。

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