「9度のカド番原因は全て怪我だった」名大関・貴景勝の怪我と戦った土俵人生

 大相撲で4度優勝、大関を30場所も務めた貴景勝が現役を引退した。28歳1カ月での引退は平成以降に昇進した大関・横綱では最年少となり、年齢的には早すぎる幕引きとも言える。

 今場所で5年ぶりの関脇転落となり、「10勝以上で大関復帰」を目指していたが、初日から2連敗して3日目から休場、その進退が注目されていた。

「引退の理由は度重なる怪我。新大関の19年夏場所では右膝関節内側側副靱帯を損傷して5日目から休場。以来9度のカド番も、体調不良ではなく全て怪我によるものでした。21年には名古屋場所2日目には巨漢力士の逸ノ城戦で首を痛め、『頸椎椎間板ヘルニアによる神経根症』と診断されたこともありました」(相撲担当記者)

 貴景勝は前の師匠・貴乃花親方を慕い、兵庫の報徳学園在学中に14年秋場所に本名の「佐藤」の四股名で初土俵。持ち前の負けん気と礼儀正しさから貴乃花親方の「付け人」にも抜擢されて徹底的に鍛え上げられた。17年初場所の新入幕を機に「貴景勝」に改名。この四股名は部屋伝統の「貴」と部屋の女将さんの名前(河野景子)から付けられたという噂も広がったが、実は、貴乃花親方が敬愛していた戦国武将・上杉景勝がその由来だった。

「18年に貴乃花親方が一連の騒動で相撲協会を退職してからは、千賀ノ浦部屋を経て現在の常盤山部屋に入りました。ただ、相撲部屋では部屋で最高位に上がった者が跡を継ぐ慣習がありますが、常盤山部屋ではそれは隆の勝。引退後に協会に残るなら、年寄株の取得が必須と言われていました」(前出・記者)

 105ある年寄株は現在ほとんど空きがなく、豊ノ島など人気も実力もあった力士たちが、年寄株を取得できないばかりに協会を退職さぜるを得ない状況が続いていた。大関経験者は年寄株がなくても3年間は四股名のままで在籍できる特例があるが、「湊川」(元小結・大徹)が今年6月30日に退職したために、貴景勝は年寄湊川を襲名した。

 怪我に泣かされた土俵人生だったが、その持ち前の負けん気を発揮して、今後は後進の指導にあたって欲しいものだ。

(小田龍司)

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