この小説は戦国時代の「ミッション:インポッシブル」だ!
舞台は戦国時代も終わりに近づいた永禄12年(1569年)。織田信長は上洛し、天下統一への歩みを着実に進めている。
信長にとっていま必要なのは有力ライバルたちの財力を知ること。戦を左右するのはつまるところ金だ。中でも領地に金山を持つ武田と銀山を持つ毛利の財力把握が急務である。
とはいえ、財力把握は、たやすいことではない。敵地に潜入する技術と知恵と勇気が必要だし、軍事しか知らない戦争バカは役に立たない。そこで明智光秀に白羽の矢が立つ。
光秀に同行するのは、彼の10年来の友人である新九郎と愚息の2人だ。新九郎はかつて相模国の兵法者で、いまは京都郊外で剣術道場を開いている、剣の達人。愚息は、かつて肥前松浦党の倭寇、つまり貿易商兼海賊で、シャム(現在のタイ)で原始仏教に触れて今でいうところのラディカル・ブッディストになった破戒僧。托鉢を拒否して博打で生活費を稼ぐ。
新九郎と愚息が世の中を斜に見るアウトローなのに対して、光秀は生真面目な秀才タイプ。新九郎と愚息は信長なんかまるで尊敬しておらず、光秀が信長にヘコヘコしているのが不愉快なのである。でも、行きがかり上、新九郎と愚息も光秀に協力する。デコボコ3人組の潜入調査開始だ。
まず、目指すのは武田の湯之奥金山。現在の山梨県南巨摩郡身延町にある。身延町といえば日蓮宗の総本山があるところだ。3人は法華信徒の参詣姿に化ける。
道中、3人は奇妙な男に出会う。土屋十兵衛長安と名乗るその男は武田の家臣。ところが土屋は3人とまた次元の違う奇人変人なのである。なにしろ土屋が郎党として連れているのは2人の若い女、楓と梢である。計算など事務能力に優れているらしい。しかも土屋は夜な夜な楓&梢と3P三昧。土屋はセックスが大好きなのである。
しかし、この男、頭がいい。何気ない会話を交わしながら、相手の首を真綿で絞めるようにジワリ、ジワリと相手を問い詰めていく。元は猿楽師だったが、武田信玄に取り立てられたのだという。金山の採掘も土屋の仕事だ。
つまり、土屋は3人の敵というべき立場なのだが、物語は奇想天外な方向に進んでいく。小説の後半「毛利の銀」の章は、光秀・新九郎・愚息のトリオに土屋が加わった4人で石見銀山に潜入する。まるで映画「ミッション:インポッシブル」シリーズのような展開で、手に汗握る。
なお、小説のラスト1ページ半ほどを割いて、土屋のその後が書かれている。武田家滅亡の後、土屋は家康に召し抱えられ、大久保長安となる。甲斐国の再建に始まり、銀山・金山開発などを手がける。好色にもますます拍車がかかり、側室や遊女を70人以上引き連れていた時期もあるとのこと。百科事典によると、一里塚や街道、宿場などを整備したのも彼だという。
《「武田の金、毛利の銀」垣根涼介・著/1980円(KADOKAWA)》
永江朗(ながえ・あきら):書評家・コラムニスト 58年、北海道生まれ。洋書輸入販売会社に勤務したのち、「宝島」などの編集者・ライターを経て93年よりライターに専念。「ダ・ヴィンチ」をはじめ、多くのメディアで連載中。