資産18億!87歳「日本のバフェット」のデイトレ現場に密着(3)初任給はたったの5000円だった

“日本のバフェット”と称賛されるシゲルさん。その異名について尋ねると、

「比べものになりまへん。私なんてノミかシラミみたいなもんですわ」

 と謙遜の一言。聞けば、裕福な家庭に生まれて大学院まで出たバフェットとは正反対の青年期を過ごしたという。

「兵庫県の農家に4人兄弟の末っ子として生まれました。農家といっても4反ほどの土地で米を作る程度の規模で決して暮らしは裕福ではなかった。服や学用品はすべて兄のお古。父親は兼業農家として外に働きに出ていましたが、高給ではなく、退職金ですら28万円程度。家庭の懐事情を知っていただけに高校に入学した時点で大学に進学する選択肢はありませんでした」

 高校卒業後は、義兄の紹介で神戸市の一等地にあるペットショップに就職。約1年間のサラリーマン生活を送ることに。

「高卒の同級生が初任給1万4000円もらっていたのに、私はたったの5000円でした。自腹の交通費を引いたら3500円しか残りません。そんななけなしのお金で株式を購入したのが初めての投資でした。どのように売ったのか記憶にございませんが(笑)。20歳で一念発起して神戸市に8坪ほどのペットショップを独立開業。ペットブームのおかげでうまいこと儲けさせてもらいました」

 それから、約15年後に店舗売却の話が舞い込んだ。

「評価額の3倍の値段を打診されたので喜んで売ることにしました。数年後、姉の知り合いが『定年になったら喫茶店か雀荘をやりたい』と雑談していたこともあり、雀荘を開きました」

 昼は学生、夜はサラリーマンを相手に24時間営業。3店舗で従業員数は13人。この頃の月収は200万円を超えていた。

「86年に3店舗まとめて6500万円で譲ってほしいという人が現れたので手放しました。この資金を元手に専業投資家に本格転身しました。バブル経済のタイミングと重なって資産を10億円にまで増やせましたが、バブル崩壊とともに2億円まで減らしてしまって。阪神・淡路大震災に被災したショックも相まって投資と距離を置く日々がしばらく続きました」

 震災から7年。現在の生業につながる画期的な株取引ツールに出会う。

「02年に『インターネット取引』を馴染みの証券会社社員に紹介されました。当時66歳でパソコンに触れたこともありませんでしたが、その便利さと手数料の安さにひかれて、大阪・梅田のヨドバシカメラで一式そろえました。1台あたり22万円ぐらいの先行投資でしたね」

 取材を切り上げようとしたタイミングで、デスクに置かれた電話が鳴った。

「もしもし」と受話器を取りながら「それはガセネタでっせ!」と、シゲルさんは数秒で一蹴した。

「不動産屋さんの営業電話ですわ。なんや買えや言うてようかかってきよるんです。でも、ほとんどが詐欺まがいのもんばかり。同じ投資でも不動産の投資にはまったく興味がありません。同様に宝くじや競馬みたいな胴元に入る“かすり”のパーセントが高いギャンブルも嫌です。その点、デイトレは証券会社に数%の手数料を払えばたくさん儲けられる。現状の資産ではまだまだ2分咲き程度。生きているうちに今の5倍は稼ぎたいですわ」

 力強い眼で生涯現役宣言。投資に老いは関係ない、と意気軒高だった。

*「週刊アサヒ芸能」12月21日号掲載

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