昭和アイドル生告白(3)桑田靖子“不作の83年組”が再ブレイク「売れなかったからこそ人間力が育ちました」

 中森明菜(58)や小泉今日子(57)たちの「花の82年組」の翌年にデビューした桑田靖子(55)。〝不作の83年組〞とも呼ばれたが、最近はその83年組が集結し「お神セブン」としてライブを成功させたばかりだ。現在も精力的に音楽活動を続ける近況を聞いた。

ーー今年がデビュー40周年ですね。

「はい。83年の3月21日がデビュー日なので、3月に東京・大阪・名古屋など5カ所で40周年記念ライブツアーも行いました」

ーー9月末に行われた同期の松本明子さん(57)、森尾由美さん(57)ら7人が再集結した「お神セブン」のライブも大盛況でした。

「ありがとうございます。最初は『なぜ私たちは不作だったのか』っていうのを検証しようと思って集まったんですよ。でも、よく考えたら『売れなかったからこそ、今でも7人で集まってイベントがやれる人間力みたいなものが育ったんじゃない?』って(笑)。このイベントは今回が2回目だったんですけど『別に輝いていなくてもいい。集まれば何とかなる』っていうのが、見に来てくれた方のエールになればいいな、と」

ーー7人の中で桑田さんはどんな存在なんですか。

「うーん。私がいちばん年下なので、妹みたいな感じなんですかね。このイベントって、ほんとに手作りで。それこそ松本明子ちゃんは会場の博品館劇場を押さえてくれたり、それこそスタッフさんのお弁当まで発注してくれて」

ーーええっ!?

「他にも小林千絵ちゃん(59)は物販のクリアファイルをオーダーしてくれたし、大沢逸美ちゃん(57)は自分の事務所に掛け合ってリハーサル用の会議室を押さえてくれたりしたんです。森尾由美ちゃんはプロデューサー的な立場で、お金の計算からみんなのスケジューリングまで全部やってくれましたし。木元ゆうこちゃん(56)は天然炸裂で、みんなを和ませてくれる存在。私も色々手伝いましたけど、文化祭みたいで楽しかったです(笑)」

ーーもともと歌が好きだったんですか。

「歌は好きでしたけど、歌手になりたいとは恥ずかしくて言えなくて。小学校の卒業文集には『保母さんになりたい』って書きました。その頃はよく男の子に間違えられてましたし、アイドルになりたいとは思ってなかったですね。でも、たまたま(当時)松田聖子さん(61)が所属していたサンミュージックさんに声をかけていただいて『絶対ここに入る!』って思ったのはよく覚えてます」

ーーデビュー翌年から「天才たけしの元気が出るテレビ」(日本テレビ系)にレギュラー出演。その時はどう思っていたんですか。

「その頃、いわゆるバラエティータレントみたいなお仕事が増えて、正直言えば『歌だけ歌っていたいのにな』という気持ちはありました。でも、バラエティーも楽しかったですよ。『元気』で言えば、(ビート)たけしさん(76)とは休憩中、何を話したらいいのかわからなかったんですけど、私の弟の名前がタケシで、高校野球で甲子園に出たりしてたんですね。そうしたら『タケシ君、甲子園に出たんだってね』って話しかけてくださって。すごく優しくて、気を遣っていただきました」

ーー今はライブ活動がメインですね。

「そうですね。14年から今のような形で音楽活動を再開して、この10年で4枚のアルバムをリリースしました。今は作詞作曲もすべて自分でやっています。ライブは年に4、5回ぐらい。もちろん、アイドル時代の歌も歌っています。こうやって、歌の道を歩めていることは、とても幸せです。40年前の不作と言われた自分に伝えてあげたい! 40年後も歌っているよ、と」

桑田靖子(くわた・やすこ)67年、福岡県生まれ。83年「脱・プラトニック」でデビュー。84年「天才・たけしの元気が出るテレビ」(日本テレビ系)に出演するなどバラエティーでも活躍。10年より音楽活動を再開。10月30日(月)、JZ Brat Sound of Tokyoにて桑田靖子デビュー40thアニバーサリーイヤーバースデーライブ《幸せのチカラ》を開催。

エンタメ