「アイドル大豊作の年」といわれ、今も芸能界の最前線で活躍するタレントが多いのが、1982年にデビューした女性アイドル。中森明菜、小泉今日子、松本伊代、早見優、堀ちえみ、石川秀美、原田知世、三田寛子、わらべらが華々しく活躍し、「花の82年組」と呼ばれた。
その一方で「アイドル不作の年」と呼ばれるのが、翌83年デビュー組だ。松本明子、森尾由美、大沢逸美らがいるが、今年はデビュー40周年に当たり、それを記念して83年組7人が集まり、銀座・博品館で記念イベントを開くのだという。
「40周年イベントに登場するのは、松本明子、森尾由美、大沢逸美、桑田靖子、小林千絵、木元ゆうこ、徳丸純子(VTR出演)の7人。AKBの神セブンに対抗して『お神セブン』を自称していますが、当時熱心にアイドルに注目していた人以外には誰だかわからないかもしれませんね」(アイドル評論家)
それも当然かもしれない。アイドル歌手といいながら、7人の中でヒットを飛ばしたメンバーはいないのだから。
「シングルが一番売れたのは森尾でしょうか。デビューシングル『お・ね・が・い』はオリコンシングル週間チャート最高位54位で4.1万枚売れました。次いで桑田のデビューシングル『脱・プラトニック』が50位で4万枚、大沢のデビュー作『ジェームス・ディーンみたいな女の子』は62位で3.2万枚。7人の中では以上3人が“売れた組”。小林の1stと徳丸の2ndは最高位99位で1万枚にも届きません。松本と木元に至っては100位以内に入りませんでした」(前出・アイドル評論家)
とはいえ、この7人をもって「不作の83年組」と決めつけるのは早計だ。ベテランのエンタメ誌編集者が語る。
「83年組には、もっと売れたアイドルがいましたからね。例えば伊藤麻衣子(現・いとうまい子)はデビューシングル『微熱かナ』が週間チャート75位で3.6万枚だったものの、その後も同程度の売り上げをキープ。85年の8thシングル『見えない翼』は14位にチャートインし、11.5万枚売れました。売れなくなればシングルが出せなくなる当時のアイドル業界にあって、87年の14thシングルまで出せたのは立派です。また、武田久美子は近藤真彦の映画『ハイティーン・ブキ』のヒロイン役で人気になり、83年1月のデビューシングル『噂になってもいい』は8.9万枚売れて、14位にチャートインしました」
さらに、83年組でトップの人気を誇ったのが、岩井小百合だ。「横浜銀蝿の妹」として83年1月に出したデビュー作「ドリーム ドリーム ドリーム」はシングルチャート19位まで上昇、10.2万枚を売り上げた。まだ14歳だった。
「デビュー年は新人賞を総なめにし、シングルは翌年いっぱいまで20位以内をキープする人気を保ちましたが、特筆すべきはデビュー年の9月に日本武道館でソロコンサートを行っていること。15歳1カ月でのソロコンサートはいまでも日本武道館史上最年少記録なのです」(前出・アイドル誌ライター)
82年組のような派手な売れ方はしなかったが、「不作の83年組」と決めつけてしまうのは不穏当。それなりに売れたアイドルもいたのである。
(石見剣)